…フォーム変わった!?…
「‥ごめん。」
「いやいや変でしょ。何があったん!?」
「大人の人たちが教えてくれたんだけど。まだ上手くできなくて。」
…誰から見ても、葉流火には、才能があった…
…「とにかくめいっぱい腕を振りなさい」「グラブを代えよう。その型だと下手になるよ」「今のうちにたくさん筋トレをしなさい」「朝から晩まで投げこんでこその投手だぞ」…
…「足をもっと上げたほうが速くなる」「球速は必要ない。投手は制球力が全てなんだ」「変化球を教えてあげよう」「バッティングはやらなくていい。投球に集中して」…
…一瞬で、たくさんの人が寄ってきた…
「うん。わかった。」
…言葉は、全て善意からくるものだったが、非常に無責任なものだった…
…天才っていうのは、放っておいても一人で勝手に成功するもんだと思ってた‥でも、目の前の出会った人5人くらい、いや‥たったの2・3人かもしれない…
…たった数人の間違った凡人のせいで、天才は、小さな島の中で、未来のヒーローは、いとも簡単に、殺されてしまうんじゃないか?…

『忘却バッテリー』要圭と清峰葉流火、子ども時代の回想です。
♦大和(やまと)政権と、対等な関係を築いていた国が、当時の日本には複数あった
☆約160,000
★約58,000
☆は現在日本において見つかっている古墳の数、★は現在日本にあるコンビニの数です。
3世紀末から6世紀中頃までを「古墳時代」と呼びます。
「古墳時代」において、築かれたお墓が「古墳」です。
「古墳時代」の事を「大和時代」とも呼びます。
日本史の授業にいおいては、この時代は、大和政権が日本を治めた時代とされていますが、それは「古墳時代」の後半の話で、「古墳時代」の前半は、大和政権と対等に渡り合っていた国が、複数存在していた事が、最新の研究において、明らかになってきています。
GDPがドイツに抜かれ、今年中にインドにも抜かれ、少子高齢化が進む国である日本。
また、会社に長く勤める事が安泰ではなくなってきた時代、個人としてお金を稼ぐ事が求められる現代を生きる私達。
そのような中「古墳時代」において、巨大な大和政権と渡り合ってきた小国の生き方から、学ぶべき所が、多分にあります。
♦古墳時代の馬は、現在の群馬県において、誕生・育成されていた
大和政権があった現在の奈良の遺跡から発掘された馬の骨のDNA分析をすると、東国、現在の群馬県で誕生し、育てられた馬である事が判明されました。
「古墳時代」において、馬は、とても貴重な資源でした。
☆農村の仕事
★物資の運搬
☆戦の鍵
現代に置き換えると、日常生活においては車が有るか無いか、戦争においては飛行機が有るか無いかという程「古墳時代」においては、馬が有るか無いかが、日常生活の選択の幅や戦における戦力の差に、直結したのです。
馬の生産を武器に、現在の群馬県にあたる東国の小国は、巨大な大和政権と、対等に渡り合う事に、成功します。
♦古墳時代の鉄は、現在の九州北部において、出品されていた
「古墳時代」は、鉄の普及の時代でもありました。
鉄の普及により、当時の人々の暮らしは、格段に変わりました。
☆より生産的な農耕の道具
★耐久性・強度のある武器の制作
☆釘・針等により木材・布の加工を容易にし、衣類から建物に至るまでの日用品
当時、鉄は、日本では生産する事が出来ませんでした。
その為、鉄は、現在の朝鮮半島から輸入をしていました。
地政学的に、朝鮮半島からの輸入を一手に引き受けていたのが、現在の佐賀県・福岡県等にあたる九州北部の小国でした。
九州北部の小国は、鉄の供給を一手に引き受ける事により、巨大な大和政権と、対等に渡り合う事に、成功します。
…ポロポロとふるい落とされても、運が悪かった。運も実力のうちだって、本当に実力があれば、結局成功するんだからって、誰にも気付かれず、ひっそりと消える‥!?…
…そんなのって、おかしいじゃん…
「葉流ちゃん。それやめたほうがいい。元に戻そ!最初が一番よかったよ。」
「でも‥大人の人が言ったから‥。」
「大人とか関係ない。俺のが正しいって。」
「‥絶対?」
「うん。絶対!!」
…その夜、俺は、怖くて眠れなかった。絶対と言ってしまった。絶対は、絶対だ。間違っちゃいけない。責任重大…
…葉流ちゃんは、俺の言うこと信じちゃう。どうしよう?俺、全然野球詳しくないし、特別上手いわけでもないからー‥…
…だからー答えは、簡単。勉強すべし!!…
『忘却バッテリー』要圭と清峰葉流火、子ども時代の回想です。
♦何故、現在の群馬県が馬の産地となったのか?
4世紀に入り、日本に鉄の供給が途絶えるという、国の存続に関わる事態が生じます。

高句麗が、鉄の産地である加耶(かや)を制圧したのです。
400年:倭国(現在の日本)朝鮮半島に出兵し、高句麗軍と戦う
しかし、倭国は、高句麗軍に大敗をします。
ここで、倭国の人々が、見たものが、高句麗軍の騎馬軍団でした。
当時、倭国においては、戦に馬を使うという発想時代がありませんでした。
『魏志倭人伝』においても「倭国に馬無」という記述が、残されています。
高句麗軍に大敗した倭国は、馬を戦で使う必要に駆られます。
そこで、まず、必要になるのは、大量の馬を誕生・育成させる事が出来る場所を見つける事。
ここで、手が挙がった場所こそが、現在の群馬県でした。
この続きは、また後程。