逆境が人に与えるものこそ美しいかな。それはガマに似て、醜く、毒を含んでこそおれ、その頭の中には宝石を蔵している

 

 ジョブズがガレージで美しいパソコンが必要というアイデアを実現しようと行動に移した事でAppleが生まれ、ラリー・ペイジが夢で見たアイデアを実現しようと行動に移した事でGoogleが生まれ、ジャック・ドーシーがカフェで話す人達を観察する事で得たアイデアを実現しようと行動に移した事でTwitterが生まれました。

 

 世の中を変えるようなアイデアは、国会でも、取締役会でも、会社の会議でもなく、1人の天才若しくは大衆の批判を気にしない変人により生まれます。

 私は、20代中盤頃までは話し合いが大切であると感じており、会議や研修等にも積極的に参加したり、主催したりしていました。

 しかし、ふと「この会議や研修必要なのか?」という疑念が頭を過ぎりました。

 会議や研修に参加しても、ほとんどの場合自分の成長に繋がる事はなく、取り留めのない話をする人の何の根拠もない個人の感想を聞いているだけの事がほとんどでした。

 30代になり、極力会議や研修等に参加する事は避け、その時間を勉強や読書、アニメや映画を観る等、自分が成長出来る事に投資してきました。

 時代も徐々に「無駄な会議をなくそう」という流れになっている事に、私は安堵感を抱いています。

 

 そのような中、今年に入り、徐々に会議や研修を主催するような役割を担う事が増えてきました。

 正直、会議や研修をする度に時間通りに会議に参加しない人がいたり、取り留めのない個人の感想を話し続ける人がいたり、違う意見を言われると自分の存在が否定された等と感じるような人がいたり「そんな事から?」等と感じ、疲弊する事ばかりで、限られた話が出来る人とだけ繋がっていたいという所が私の正直な感想です。

 

 そもそも、人は何故話し合いをするのでしょうか。

 多くの人が話し合いに期待している事は以下の4つです。

  ①1人で判断するよりも話し合った方が適格は判断が出来ると思っている

  ②1人で考えるよりも皆で知恵を出し合った方が想像的なアイデアが生まれると思っている

  ③利害の対立等があっても話し合えば民意を反映出来ると思っている

  ④意見交換をする事で多様な事態に対応出来ると思っている

 

 敢えて思っていると記載した事からも理解出来るように、これらのほとんどは間違っています。正確には日々勉強等をし成長をしようとしている人には間違いであり、特に何も考えずに日々の生活を送っている人には合っているという表現が正しいでしょうか。

 たとえば、ある課題を出した時に集団で出した答えよりも、その集団の中で最も優秀な人が出した答えの方が、より良い答えが出るという実験結果が出ています。

 話し合いでは、異なる意見の落としどころを探る必要がありますし、自分の主張をし過ぎても周囲との調和を崩す恐れがあります。

 このようなデータからも、話し合いから社会を変えるようなアイデアは生まれない事が証明されています。

 

 このような事を主要すると批判されたり、悪口を言われたりします。

 しかし、批判や悪口を言われた所で何だという話です。

 そのようなあなたにとってどうでもいい人から何か言われた所で、あなたが相手にしなければ、あなたには何の影響もありません。

 批判したり悪口を言う人は、あなたが苦しむ姿を見たいだけで、問題を解決しようという意思は全くない事が多いです。

 そのような人を相手にする事自体、あなたの人生にとって何もプラスにならない事はすぐに理解出来るはずです。

 

 多くの人は、成功したいと思っているのに、何故か皆と同じ事をしてしまいます。

 成功するとは皆と違う事をする事と同義語である為、皆と同じ事をしていても成功等出来ません。

 くだらない批判や悪口は、スルーして下さい。

 「大衆は常に間違っている」

 あなたが成功したいのであれば、この考えを忘れないで下さい。