関ケ原と明治維新

 徳川家康がいなければ、江戸幕府は生まれなかったでしょう。
石田三成がいなければ、関ケ原の戦いは起こらなかったでしょう。
 家康、三成はじめ戦国時代の武将は、その人でなければできないことをやってきたような印象を受けます。
これと比較し、幕末や明治に起こったことは、その人がいなくても他の人がやったのではないかという印象を持ちます。
 西郷がいなくても誰かがやっただろうし、大久保がいなくても誰かがやったでしょう。
時代をさらに先に進め、明治になるとなおのことその印象は強くなります。
 日露戦争、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼした秋山真之。
その兄の好古は、世界最強と言われていたコサック騎兵集団と戦い、かろうじて殲滅を免れ、勝利の線上で戦いを持ちこたえました。
 この兄弟がいなければ、日本列島は朝鮮半島を含め、ロシア領になっていたという大袈裟な想像を出来なくもありません。
しかし、彼らがいなければ、この時代の他の人達が同じことをしていたでしょう。
 時代が近代になるにつれ、「誰かがやったのだろう」という傾向は強いです。
言い方を変えれば、それだけ自由で平等な国に日本がなってきたということです。