阿倍仲麻呂

 高校生の時日本史の授業で「なぜ吉備真備は日本に帰ったのに阿倍仲麻呂は中国に残ったんですか?」という質問をして教師を困らせてしまいました。
高校でも大学でも日本史を語り合うことができる人に出会うことはありませんでした。
 仲麻呂は、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と唐にいながら故郷奈良を思う望郷の歌人として有名です。
しかし、仲麻呂はただの望郷の歌人では収まらない人物です。
 遣唐使として唐に渡ると、類まれなる才能にて唐の官僚となり、国王の側近にまで取り立てられます。
当時の唐は、世界一の文明を図っていました。李白といった世界最高の歌人とも仲麻呂は歌の応酬をし、認められます。
 日本史においては、唐の国王に止められ、日本に帰国させなかったといいます。
しかし、実際は日本という島国に収まりきらなくなった仲麻呂が自ら希望し唐に残ったようです。
 そして、仲麻呂の存在が日本外交を助けます。唐との外交で行き詰まると仲麻呂に仲介をお願いしていたようです。
7世紀後半白村江の戦いに敗れ、日本は初めて世界の脅威を知ります。
 戦国然り、幕末然り、国の混乱期には天才が生まれてきます。