東京ミッドタウンの中にあるサントリー美術館で開催されている「刀剣もののふの心」に行ってきました。
「刀剣もののふの心」では、膝丸、宗三左文字、骨喰藤四郎、秋田藤四郎と『刀剣乱舞』にて擬人化された刀が4振りも展示されています。
特に、膝丸、宗三左文字、骨喰藤四郎は京都にて所蔵されている刀である為、東京で観る事が出来るのは、贅沢です。
骨喰藤四郎。
骨を喰う。まるで、妖刀のような名前です。
由来は、戯れに斬る真似をしただけで、骨まで砕いてしまう程のすさまじい切れ味によるものと伝承されています。
元々は薙刀だったものを磨り上げて、一尺九寸四分の脇差となりました。
骨喰藤四郎は、価値のある刀だった為か、数奇な運命を辿ります。
最初は、源頼朝から大友氏が拝領した薙刀でした。
その後、足利尊氏に献上されます。
1565年、三好三人衆と松永久秀に室町幕府13代将軍足利義輝が暗殺される永禄の変が勃発します。
当時、義輝の元には『刀剣乱舞』でも擬人化されている三日月宗近や鶴丸国永も所有されていた事を考えると、刀剣とは時代の波を数奇な運命の元流れる存在であると再認識してしまいます。
永禄の変の最中、どさくさに紛れて、骨喰藤四郎は松永久秀が奪っていきました。
茶器を集めるのに執念を燃やし、茶器を譲る譲らないで信長と揉め、自害にまで追い込まれた久秀のコレクター魂が、骨喰藤四郎を所有するに至らしめたのではないかと想像してしまいます。
骨喰藤四郎が、久秀所有となった事を知った大友宗麟は、家臣の毛利兵部小輔を遣わせて、3千両と多くの財宝と引き換えに骨喰藤四郎を返してもらいます。
江戸時代前期の1両が現在の貨幣価値に変換すると10万円であった為、3千両は3億円となります。
それだけ、骨喰藤四郎の価値が高かった事を証明している逸話です。
毛利が船で播磨藩を渡っている途中、突然光が出現し、近づいてきました。
毛利が「命ある限りこの刀は譲らない。」と怒鳴ると、光は瞬く間に消えてしまいました。
後に毛利は竜宮に住まう竜王が、骨喰藤四郎を欲しがったのではと回想しています。
秀吉の九州征伐の際、秀吉に所望され、骨喰藤四郎は秀吉所有となります。
その後、豊臣が滅亡した大阪城落城の中、堀の中から、奇跡的に発見されます。
家康に献上され、家康は、骨喰藤四郎が無事であった事を大いに喜んだと伝えられています。
しかし、1657年明暦の大火で焼け、打ち直されます。
源頼朝、足利尊氏、足利義輝、松永久秀、大友宗麟、豊臣秀吉、徳川家康と時代に翻弄され、幾度も主を変えるも、常に時代の主役の元にあった骨喰藤四郎。
大阪城落城、明暦の大火と2度の炎の中を生き残った骨喰藤四郎。
1本の刀から、時代の流れを感じ取る事が出来る事が、刀剣を観る醍醐味です。