「日本を今一度せんたくいたし申候」
「義理などは夢にも思うことなかれ、身をしばらるるものなり」
どちらも龍馬の言葉です。
龍馬には、明るいイメージばかりありますが、2つ目の言葉のように目的の為であれば義理等も捨て去るというダークな一面も持ち合わせていました。
11月15日は、龍馬の誕生日であり、命日です。
当時の日本において、義理等は夢にも思う事なかれという様な思想を持つ事が出来た人物は、少なかったと思われます。
当時の江戸時代の人々の価値観は、父や兄、若しくは大名や武士等は絶対の存在であるというものでした。
江戸幕府創設後250年経った江戸時代後期にも、家康の思惑のままの日本人の思想が出来上がっていた事を考えると、家康を末恐ろしく感じてしまいます。
そのような最大多数の人が持つ価値観に疑問を抱いた事が、龍馬を龍馬たらしめました。
現代にも続く最大多数の最大幸福を支持する日本人の特性に異を唱える事には、龍馬も苦悩します。
龍馬のその苦悩は、10代後半から20代後半まで続きます。
身分制度・家族・友情、敵ではないからこそ、もつれ合う見えない縛りから、龍馬は10年以上も抜け出す事が出来ませんでした。
龍馬が脱藩したのは、28歳の時です。
龍馬が暗殺されるのが31歳の時ですから、龍馬が歴史の表舞台に立っていたのは、わずか3年程の時間です。
1人の人間の魅力が歴史を動かした。
龍馬を評するとしたら、この言葉が最も適切であると私は感じています。
無論、歴史とは1人の人間の魅力のみで変わる程、単純なものではありません。
しかし、薩長同盟も大政奉還も、龍馬がいなければ、異なる形となっていた事は間違いありません。
歴史という大きな渦の中に、1人の人間の魅力がどのように作用していくのか、これこそ龍馬にしか出来ない龍馬だけの物語です。