「デンケン。」
「‥ああ。すまない。眠っていたようだ。」
「その勲章、また出世したんだ。おめでとう。」
「ああ。これで恩賞が出る。俺達みたいな辺境貴族には、有り余るような莫大な金が。それがあれば、君も死なずにー。」
「‥どうしたの?」
「‥そうか。これは夢なんだな。遠い昔、この勲章を受け取った日のことは、よく覚えている。すべてが報われた気がしたんだ。俺は、翌日の早朝に馬車でヴァイゼに帰るつもりだった。」
「だが、叙勲式の晩に、使者から君の訃報を受けた。レクテューレ。俺は、君の死に目には会えなかったんだ。」
「俺は、こんな物のために、金のために頑張ってきたわけじゃない。‥でも、たとえ夢の中でも、最期に君に会えて良かった。」
『葬送のフリーレン』デンケンの夢の中の物語です。
♦300年前、米の価格に挑み、敗北を重ねた将軍の物語
☆2,136円
★4,223円
☆が2024年5月の米5㎏の価格、★が2025年5月の米5㎏の価格です。
政府が、備蓄米の放出を決定しても、米の価格は、中々低下せず、私達の生活を苦しめています。
あなたは、米の価格が下がらない原因は、何だと思いますか?
私は「政治家が、米の値段を始めとするあらゆる物価が2倍になった所で、実感がない事にある」と考えています。
人は、自分の生活に、危機を感じなければ、本気で行動する事が出来ない生物です。
現在より300年前、米の価格に挑み続け、敗北を重ねた将軍がいました。
その将軍は、徳川幕府8代目将軍・徳川慶喜です。
では、吉宗の敗北の歴史を見ていきましょう。
「俺は、こんな物のために、金のために頑張ってきたわけじゃない。‥でも、たとえ夢の中でも、最期に君に会えて良かった。」
「最期?」
「俺は、マハトに負けた。実力の差を見せつけられた。この半世紀、研鑽を怠ったつもりはない。それでも、届かなかったんだ。」
「それがどうしたの?」
「今までだって、数え切れないほど負けてきたじゃない。それでも、諦めなかった。」
「あれは、指導試合だ。」
「最期まで、醜く足掻くんでしょ?少なくとも、私の見てきたデンケンは、そうだった。」
…そういえば、いつだったか一度だけ…
『葬送のフリーレン』デンケンの夢の中の物語です。
意外に思われるかもしれませんが、江戸時代、米の価格を決めていたのは、江戸幕府ではありません。
江戸時代、米の価格を決めていたのは、大阪の商人でした。
つまり、主食であるとともに、江戸時代の通貨の役割も果たしていた米の価格は、江戸幕府のコントロールが利かない場所(ぶたい)で、決まっていたのです。
武士への給料であった米の価格が乱高下していては、武士の不満に繋がり、江戸幕府の根幹を揺るがす火種になってしまいます。
その為、江戸幕府は、米の値段を安定化させたいと、考えていました。
吉宗が将軍になった時代は、家康が江戸幕府を開いてから100年後の世界。
江戸幕府開設当初は、幕府の財政は、豊かなものでした。
金銀の採掘・新田開発により、江戸幕府には、莫大なお金がありました。
しかし、良い時代ばかりが続く事がない事は、歴史が教えてくれます。
やがて、金銀の採掘量は減少し、新田開発も進まなくなりました。
吉宗の時代、日本は主要国で初めて、食料生産と人口の動きが、別の動きをするという事態に、遭遇します。
☆米がたくさんとれる→人口が増える
★米があまりとれない→人口が減る
吉宗以前の日本史に人口動態を見ると、上記のような動きをしている事を、図り知る事が出来ます。
しかし、吉宗の時代、日本の人口増加は、止まります。
そうなると、新田開発を続けてきた米の価格は、どうなるでしょうか?
当然、米の価格は、低下していきます。
米の価格が低下するという事は、武士の給料が低下する事を意味します。
当然、その武士の不満は、幕府に向きます。
江戸幕府を維持する為に、米の価格を安定化させる事が、吉宗の主要課題となります。
「マハト。お前は共存を望んでいる時点で、他の魔族達(ばけもの)とは違う。」
「その一点においては、敬意を表そう。私の知る限り、人類にこれほど歩み寄った魔族は、お前で二人目だ。」
「そして、だからこそ、わかり合えない。お前が共存を望めば望むほど、お前の手で多くの人が殺される。」
「それに何の問題がある?人類を理解できれば、いずれ共存の道がー。」
「そう。それで、あと何人殺せば理解できるの?」
「魔王は、お前と同じく共存を願っていた。そして、人類の勢力圏が、全盛期の三分の一になるほど、多くの国と民族を滅ぼした。」
「マハト。お前の願いの行くつく先は、人類の絶滅だ。そうなるまで待ってやれるほど、人類(わたしたち)は、お人好しじゃない。報いを受けるときが来たんだ。黄金郷のマハト。」
「‥報いか。」
…「いつか必ず報いを受ける。今の私のようにな。」…
「俺は、悪として裁かれるのか。これほど光栄なことはない。さあフリーレン、教えてくれ。あと少しで、何かが掴めそうなんだ。」
「‥フリーレン。‥頼む。その役割は、儂にやらせてくれ。」
「勝てるの?」
「そう。それじゃあ私は、ソリテールを叩き潰す。」
『葬送のフリーレン』フリーレンとマハトの会話、そして、デンケンの言葉です。
主要国で歴史上始めて、食料余りを迎えた江戸時代中期の日本。
米という視点から、少し離れて歴史を見ると、これはとても大きな事でした。
これまでの日本人にとっては、米を食べる事、つまり生きる事が人生の全てでした。
しかし、米が余り出し、食料への不安がなくなってきた日本人は、米を食べる事、つまり生きる事に直結しない事に、関心を寄せる余裕が生まれたのです。
…本を読む・絵を観る・芝居を観る…
米が余り出した事で、日本史に、花が彩りが出るようになってきたのです。
ただ、これは、後の世から歴史を振り返った時に、気付く事。
その時代を生きた吉宗は、それ所ではありません。
吉宗の物語の続くは、また後程。