「なぜ自分が人よりも強く生まれたのか、わかりますか?」
「弱き人を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません。弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。決して忘れることのなきように。」
「私は、もう長く生きられません。強く優しい子の母になれて幸せでした。あとは頼みます。」
「母上、俺の方こそ、貴方のような人に生んでもらって光栄だった。」
『鬼滅の刃』煉獄杏寿郎の母の言葉と、己の責務を全うした煉獄杏寿郎の言葉です。
私は、上記の母の言葉は、呪いであると考えています。
勿論、素晴らしい話である事は百も承知ですが、弱い者を助ける事・責務を全うする事という呪いにより、煉獄は命を落としたのではないかと感じています。
呪いとは悪いもののように思われていますが、寧ろ、悪意のある呪いの方が、わかりやすく対処がしやすいものです。
その人の為を思ってこそ伝える善意の呪いの方が、数倍もその人を苦しめる事は、よく起こります。
「鬼になれ。杏寿郎。」
猗窩座の言葉通り、私は煉獄に鬼になってでもいいから、生きてほしかったです。
死んだら何もなりませんが、鬼になっても、生きてさえいれば、禰豆子のように人を救う鬼になれたかもしれません。
私達は、子どもの頃から、親を尊敬し、その言葉に従う、否、現代においては尊重するべきであると教えられてきました。
多くの子どもは、親を人生の指針とし、その期待に応えようと懸命に努力をします。
しかし、皮肉な事に、親の期待に応えようとすればするほど、子どもの人生は、悪い方向に進みます。
親は、尊敬すべき人なのでしょうか?
そんな事は、ないはずです。
♦尊敬出来る人もいれば、尊敬出来ない人もいる
私は、1度は、親を否定するべきであると考えています。
1度否定をした上で、親でなかったとしても、尊敬が出来るのか、このように考える時間が、子どもには必要です。
子育て程、難しく、自分を犠牲にしなければならない事は、ありません。
出掛けようとしても着替えに30分も掛かり、食事中に遊びだし、家に帰ってまずやる事は子どもが散らかした物の片づけだったりします。
大変さの種類こそ違えど、人生において、子育てが、1番ハードであると表現する事が出来るでしょう。
その上、どんな親も、初めて子育てをするのです。
上手く出来ないのは、当然です。
人は、失敗をしながら、学んでいきます。
つまり、子育ては、失敗の連続なのです。
さらに、子育てに、そもそも正解がない事が、子育ての厄介な所です。
幼稚園受験・小学校受験等の受験の低年齢化も、視点を変えれば、親が学校というブランドに頼っているだけであると捉える事も出来ます。
親の言葉に従うとは、起業した事のない人に起業を、経営が傾いている会社の社長に経営を学ぶようなものです。
それにも関わらず、日本社会においては、いまだに「親は尊敬するもの」という呪いが、続いています。
これは、親にとっても、辛い事です。
親も、子どもに、期待されない方が、子どもと一緒に、たくさん失敗し、その失敗を認める事が出来るようになるのではないでしょうか?
そもそも、親の世界観は、子どもが生きる時代の世界観に、合いません。
親が過ごした時代と、子どもが過ごす時代には、30年~40年程の乖離があります。
時代に合わないのは、当然です。
「努力が報われると嬉しいということを知ることができたな。それが星(ステラ)にも勝る財産になるはずだ。」
「必ずしも報われるとは限らず、悔しい思いをするということも、いつかはあるだろうが、それを知ることも、また財産だ。」
「ジじじのざいさんくれるはなし?」
「そんなこと言っとらん。」
『SPY×FAMILY』ジークムントの言葉と、アーニャとジークムントの会話です。
では、親が、子どもに出来る事は、何でしょうか?
まずは、良い場所に住む事。
私は、親が子どもに出来る最大のプレゼントは、良い場所に住む事であると考えています。
もう1つは、様々な経験を提供する事。
週末は、動物園・水族館・遊園地・博物館等、様々な場所に出掛ける事です。
可能であれば、2ケカ月に1回程度旅行に行き、小学校入学までに47都道府県全てを旅行する。
病気の心配等が軽減してきたのであれば、1年に1回は、海外にも旅行に行きたいものです。
行く場所は、まずは、親の興味のある場所でいいと思います。
2歳位からは、子どもの意見を聞き、子どもが行きたいと言った場所に行き、子どもに「行きたい」と思った場所に行けるという経験を積ませる事。
これにより、子どもは、願いは叶うという世界観を、手に入れる事が出来ます。
どんなに頭脳明晰な子どもでも、経験においては、大人に劣ります。否、現代においては、そうではないケースも多々見られるようになってきましたが‥。
その為、子どもが、自分でする選択肢の幅は、親と一緒に経験したものまでにしかならないというのが、私の仮説です。
あなたが、初めてデートをする時の事を、思い出してみてください。
自分が行った事がある場所に、彼女・彼氏を連れて行ったのではないでしょうか?
そして、その自分が行った事がある場所とは、親が連れてきてくれた場所であるはずです。
とはいえ、上記の2つの親が出来る事をするには、親に経済力と自由な時間の両方がなければなりません。
昭和の時代は、夫は、仕事だけしていれば良かったです。
その仕事も、実績を出さなくても、時代が追い風となり、勝手に給料が上がっていきました。
しかし、現代の夫は、仕事だけしていればよいというわけにはいきません。
さらに、昭和のように、実績を出さずとも会社に所属しているだけで、給料が上がる事はありません。
現代を生きる親は、これまでの人類史において、最も過酷な子育てを経験していると、私は思います。
「親に期待しない」
一見、親を見離したように聞こえるかもしれないこの世界観が、翻って、親自身の気持ちを楽にしてくれる事に繋がります。
そして、それが、最も過酷な子育てを、乗る超える鍵にもなると思います。