ヒソカは、自分以外の誰にも属さない。自分が、最強だと理解しているからだ

 

 「御影玲王、キミは、どんなプレイヤーになりたい?」

 「えっと‥ちょっと考えますね‥。」

 「難しく考えるな。俺が聞きたいのは、キミの意見じゃない。」

 「‥は?」

 

 「キミの中の世界一の自分。理想の御影玲王なら、なんて答える?さぁホラ答えて。どんなプレイヤーになりたい?」

 「‥俺は、戦場(フィールド)を変幻自在に制圧して、ゴールを奪うストライカーになりたい。もう誰かがいなきゃダメな選手じゃなくて、俺1人で世界一になれる力が欲しいです。」

 

 「いーぞ。御影玲王!!そーゆーコトだぁ!!OMG!!」

 「‥おいこれ1人ずつ宣言してくのかよ‥」「なんか‥恥ずかしいな。」「マジそれな。」

 「HEY青い監獄達(ブルーロックス)なぜ笑うんだい?」

 

 「理想を明確に語るのは、重要な行為(コト)だ。俺は、そうやって世界一に近づいてきた。どんな才能ある人間も、いつでもポジティブでいられるわけじゃない。弱音を吐いたり、怖気付いたり、自信を失いそうになる瞬間は、誰にだってある。」

 「そんな時、俺はいつも聞くんだ。今の自分じゃなく、理想のクリス・プリンスなら、なんて言うかをね。」

 「それで満足か?いや、まだやれるさ。少し休んだっていい。次の一歩を踏み出せ。そうするコトで‥理想と一致しない自分を、俺は絶対に許さない。」

 

 「そんな俺をナルシストだと笑うヤツもいる。狂ってると罵られたコトもある。でも、クリス・プリンスが求めてる、俺の理想を裏切る行為(コト)はできない。」

 「理想を追求しろ。現実と戦えー世界一になりたければ、理想を現実に変える肉体を持て。」

 『ブルーロック』クリス・プリンスと玲王の会話、ブルーロックス達の反応、そして、クリス・プリンスの言葉です。

 

タケ on X: "自分が最強だと理解しているからだ…! ハンタ信者は ...

 

 

 

 真の「自己肯定感」とは、何かが出来るという「自己効力感」や、誰かの役に立っているという「自己有用感」では、ありません。

 

 「自己肯定感」が高いとは、ありのままの自分を無条件で受け入れ、愛している状態の事です。

 

 

 「自己肯定感」という言葉を、よく聞くようになってきました。

 

 「自己肯定感」は上がったり下がったりするものであると信じれば、あなたの「自己肯定感」は上がったり下がったりします。

 「自己肯定感」は無理して高めなくていいと信じれば、あなたの「自己肯定感」は低いままです。

 「自己肯定感」には条件が付いているものもあれば付いていないものもあると信じれば、あなたの「自己肯定感」には条件がついたままとなります。

 

 

 

 20歳の時、1人でインドを旅しました。

 空気が濁り、道中を野犬や牛が闊歩し、朝になると道端で人が死んでいる。

 そんな混沌(カオス)の中、誰も私を知る人はおらず、どこにも所属しておらず、これまで重ねてきた努力も通じない中、私を支えるのは「自己肯定感」だけでした。

 

 字も読めない・言葉も通じない・場所もわからないインドの街に出るのは怖く、正直ベッドから出たくありませんでした。

 しかし、理想の自分が囁きます。

 「そんなお前(自分)でいいのか?」と。

 

 

 「自己肯定感」を、何があっても自分の味方である事であるという定義も、私は好きです。

 「自己肯定感」を上げるとは、自分を世界一の親友にする事と同義語です。

 

 人生において、最も長い時間を一緒に過ごす人は、誰でしょうか?

 それは、自分自身です。

 

 一説では、人は1日に6万回自分との会話をしているそうです。

 故に、自分は、最強の味方にする事も出来れば、最大の敵になってしまう事もあります。

 

 

 2017年国立青少年教育振興機関が、高校生を対象にした研究があります。

 「自分は、価値のある人間だと思うか?」

 この問いに、アメリカの高校生の84%が「YES」と答えました。

 しかし、日本の高校生が「YES」と答えた割合は、45%でした。

 

 

 私は「自己肯定感」を育てる場所は、家庭であると考えています。

 特に、乳児期から幼児期に掛けて、家庭において、大人と子どもが、重ねる会話にこそ「自己肯定感」を上げる鍵があると考えています。

 

 この続きは、また後程。