九州の関ケ原

 徳川家康東軍と石田三成西軍の衝突、関ケ原の戦いの裏で天下人を目指した人物がいました。 その人物こそ、黒田官兵衛です。  官兵衛は、家康と三成の戦が長引くと予想しました。 そこで、家康の味方をするふりをし、九州の石田方の城を次々と落城していきます。  そして、自身の味方を増やし、九州を黒田のものにしていきました。 その後、東軍・西軍の戦が長引き、両軍疲弊している中、両軍を倒し、天下を獲る計画でした。  史上最強のナンバー2が初めて天下を目指しました。 しかし、関ケ原は官兵衛の予想を裏切り、小早川の裏切りにより、1日で勝敗が決してしまいます。  官兵衛の天下統一は、これにより夢と消えました。 さらに、小早川を調略したのは、息子長政でした。  長政は、この功労を家康直々に褒められます。 その後、長政から関ケ原の詳細を聞く官兵衛は長政に言います。  「家康に褒められた時、どちらの手で握手をした?」 長政は、「右手です。」と答えます。  これに対し、官兵衛は「その時そちの左腕は何をしておった。」 人生の最後で、天下統一を目指した官兵衛。 その姿は、しがらみから解放された、戦を楽しむ若き日の官兵衛の姿そのものであったといいます。