「プレーは大分、おりこうさんよな。」
『ハイキュー』宮侑の言葉です。
2009年9月5日。
青空が広がっていたはずのオランダの上空は、後半開始から金髪の背番号20がピッチに入った途端、厚い雲に覆われました。
63分。
FKでゴールを得るにはやや遠いと思われるような位置に、当時の日本代表の絶対的存在である中村俊輔が、ボールを置いた頃には、どしゃ降りの雨が選手達に降り注いでいました。
そこに、金髪の背番号20が、近づいていきました。
キッカーは、誰もが、絶対的存在である中村俊輔であると、誰もが思っていました。
ところが、様子がおかしい。
本田は、ゴールを見据えたまま、何かを呟いている。
俊輔は、首をかしげている。
前傾姿勢のまま、どちらも助走を始めない。
業を煮やした俊輔が、ボールをセットし直すと、スコアは0-0で、残り時間はたっぷりあるにも関わらず、遅延行為とみなされ、イエローカードが提示されました。
数秒後、ようやく俊輔が蹴ったボールは、GKに弾き出され、コーナーキックになりました。
本田は、一歩も動かぬまま、それを見つめていました。
♦「嵐を呼ぶ男」がいない
私は、2021-2022シーズン以降、ヨーロッパのフットボールの魅力は、低下していると考えています。
その理由には、守備・慎重さの優勢化、身体能力優勢への回帰、試合日程等のスケジュール等が挙げられますが、私は「嵐を呼ぶ男」がいない事が、最も大きな理由であると考えています。
昨シーズン終盤のパリのフットボールは、魅力的であり、10年以上パリを見続けてきた私にとっては、嬉しいものでした。
しかし、その魅力はシーズン終盤の数カ月だけの話であり、語り継ぐ物語にしては、まだ捲るページが足りません。
「あのFKの場面では、5回か6回、俺が行くと言いました。」
「でも、代表での実績を考えれば、俊さんが蹴るのは当然のことです。僕は、チームに入ったばかりですし、もちろんチームに溶け込む努力はすべきだと思います。」
「でも、チーム内の声を気にしすぎていても、事が良くなるとは思えない。だから、そこだけ敏感に反応することはないですね。」
「まずは、自分がどういうプレーをするのか、周りに示さないと。」
本田圭佑の言葉です。
ー嵐を呼ぶ男がいないー
時を同じくした2009年5月。
私は、イングランド・オールドトラフォードで、途中交代を命じられたロナウドが、絶対的存在である監督・ファーガソンに、スタッフから渡された服を投げつけるシーンを目撃しました。
自身がFKを決め、勝利は決定的であり、数日後に控えたチャンピオンズリーグに向けた為の交代であると、誰もが納得している中、当の本人だけが納得していませんでした。
…淡々と強いことは、チームの理想…
…だが俺は、チームの調和の中にあっても、埋もれるつもりは無え…
…俺は、星海光来だ!…
『ハイキュー』星海の脳内言葉です。
♦英雄には拍手を、挑戦者にはブーイングを
今シーズン、私が、最も感動したシーンは、デブライネがエディハドに帰還したシーンです。
フットボールを数十年見続けていると、数年に1度涙が流れるシーンに出逢う事がありますが、シティのキングの帰還は、まさにその瞬間でした。
そして、最も興奮したシーンは、クラシコで交代を命じられたヴィ二シウスが激怒したシーンと、アレクサンダー・アーノルドに対しリヴァプールファンが大ブーイングをしたシーンです。
ヴィ二の激怒には、監督への敬意が足りない・クラブがコントロール出来ない存在になっている等、様々な正論があります。
しかし、私は「おりこうさん」ばかりになっているこの世界において、彼のような存在は、貴重であると思っています。
また、私はアーノルドは、リヴァプールの弱点であると感じていましたし、試合が劣勢になった時の彼の戦う姿勢には、疑問を抱いた事が何度かあります。
ただ、6歳から育ててくれたクラブへの恩義よりも、憧れを優先した姿は、カッコいいものであり、初めて彼を応援したい気持ちになっています。
そして、そんな彼に対し、きっちりと大ブーイングをアンフィールドのファンにも、興奮しました。
大ブーイングの中、プレイする彼の姿は、1人で数万人と過去の自分と戦っているかのようで、とてもカッコよく映りました。
偶然か必然か、チームを巡り導かれたかのような回帰が出来るのも、フットボールの魅力の1つです。
「僕は最近、謙虚っていう言葉の意味が、よくわからないんです。」
「謙虚って、時に自信がないだけなのかなって。僕の中での謙虚とは、強い志を持って、高い目標に対して、真剣に、客観的に自分を観察しながら取り組んでいくことだと思っています。」
「誰かに褒められた時に、そんなことないですよと言うのが、謙虚だとは思わない。」
「それはただ、逃げ道を作っているだけだと思うんです。」
本田圭佑の言葉です。
偶然か、必然か、私が最も興奮した2つとも、男達が着ているユニホームは、白でした。
時代を作るのは「嵐を呼ぶ男」です。
ロナウドとメッシが去ったヨーロッパのフットボールに慣れてはきたものの、その物足りなさには、まだ慣れませんし、慣れたくないという思いがあります。