全人類読めから全人類観ろへ2025

 

 

 

  …「本当に、俺でいいんですか?」…

 

  …「子どもの頃、花火を見に行く話をしたの、覚えていますか?」…

 

 

  …「えっ?いや‥ええと‥」…

 

  …「狛治さんとのささいなお話で私、嬉しいことが、たくさんありました。」…

 

 

狛治 (はくじ)、師匠、恋雪ちゃん 素流道場の舞台挨拶が、実現 花火を見に行きましたかって、訊いてほしいな #鬼滅の刃 #無限城編 #猗窩座再来  の再来は、恋雪ちゃんのこのセリフにもかかってるんだろ!?

 

 

  

  …「今年、花火を見れなかったとしても、来年‥再来年見に行けばいいって言ってくれた。」…

 

 

  『鬼滅の刃』猗窩座の物語です。

 

 

 

 

 

   1位:『鬼滅の刃無限城編』

 

   2位:『チェンソーマンレゼ編』

 

   3位:『べらぼう』

 

 

 私の2025年アニメ、ベスト3です。

 

 

 

 

 

   ☆世界興行収入1,064億円

 

   ★日本映画として初の1,000億円超え

 

   ☆世界157カ国の国で劇場公開

 

 

 『鬼滅の刃無限城編』が叩き出した実績です。

 

 今年は日本のアニメが、世界の主役である事を、決定付けた年となりました。

 

 

劇場版「鬼滅の刃」無限城編 』第一章 猗窩座再来』 公式サイト ...

 

 

 

 私は『鬼滅の刃』『チェンソーマン』ともにJUMP連載中から読んでいましたし、どちらも漫画を所持しているとともに、何度も読み返しています。

 

 ただ、『鬼滅の刃』『チェンソーマン』ともにJUMPや漫画で読んだ時には『ハイキュー』『呪術廻戦』程の深みや学びを、私は感じませんでした。

 

 

 絵も独特ではあるものの『呪術廻戦』のような震える程の美しさはなく、物語も言葉も『ハイキュー』のような人生の指針となるようなものはないというのが、私の感想でした。

 

 

 しかし『鬼滅の刃』『チェンソーマン』両作品を、映画として観た時、その美しさも人生の指針も、100倍になって返ってきました。

 

 私は、完成していない作品程、映画になった時に、大きく跳ねるという仮説を導き出しています。

 

 

 

上弦の参・猗窩座(あかざ)の悪役としての魅力に迫る!最も悲しき過去を持つ鬼|アニメンタリズム

 

 

 

 

 

  ー『鬼滅の刃』は「読む物語」ではなく「感じる物語」であるー

 

 

 『鬼滅の刃』は平成後期~令和を代表するJUMP作品であるものの、その核は「論理」より「情動」にあります。

 

 

   ☆家族を失う痛み

 

   ★守れなかった後悔

 

   ☆それでも前に進む・止まる覚悟

 

 

 『鬼滅の刃』の核である上記のテーマは、漫画で理解するより、映画で身体で感じた方が、伝わります。

 

 映画は、この「身体感覚」を直接刺激します。

 

 

 

感想/劇場版 鬼滅の刃 無限城編「猗窩座再来」つまんない ...

 

 

 

  

  ー窩猗座に石田彰の声が入った瞬間、ただの強敵から、1人の人に変わるー

 

 

   ☆怒っている

 

   ★強さを求めている

 

   ☆本心を語らない

 

 

 漫画における猗窩座は、上記のような「感情の未言語化キャラ」です。

 

 その為、漫画においては、猗窩座の感情の未言語の部分を、読者が補完する必要があります。しかし、映画では異なります。

 

 

   漫画→読者が補完する

 

   映画→声が感情を代弁する

 

 

 特に重要なのが、言葉ではなく、声の揺れです。

 

 

   ☆知的

 

   ★冷静

 

   ☆脆さがある

 

 

 石田さんが持つ声の二重構造が、窩猗座のキャラクターと一致します。

 

 

   表面:好戦的・挑戦的

 

   内面:焦燥・哀願

 

 

 石田さんの声が猗窩座に入る事により、漫画では「強者の言葉」であった窩猗座の言葉が、映画では「強者でも弱者でもある、何かを探し続けている人の言葉」になるのです。

 

 

 

 

猗窩座の最後泣ける #鬼滅の刃

 

 

 

 

 

  ー強さへの執着が、信念ではなく祈りに変わるー

 

 

 漫画であると窩猗座の「強くなれ」という言葉は、思想・価値観として、理解出来ます。

 

 しかし、石田さんの声が入ると「強くなれ」という言葉は、説得でも、教えでもない事に、気付きます。

 

 

 窩猗座の「強くなれ」という言葉は、自己暗示であるとともに、祈りなのです。

 

 映画により、私達に届くメッセージが「理解」から「身体感覚」に変わった事で、窩猗座が「強くなれ」という言葉は炭次郎に言い聞かせているのではなく、自分に言い聞かせているという事を、感じる事が出来るのです。

 

 

 

 そして、石田さんの声が窩猗座に入る事で、回想シーンの破壊力が桁違いになります。

 

 

   ☆哀しみ+怒り→喜び→哀しみプ+怒りという振れ幅

 

   ★不器用な優しさ

 

   ☆失った瞬間の絶望

 

 

 窩猗座の回想は、声が入る事で、一気に可視化されます。

 

 

   「幸せな声」と「鬼としての冷たい声」

 

 

 この落差が、窩猗座を鬼にしたと「身体感覚」で伝わるのです。

 

 

 

 

 『鬼滅の刃』は読んで理解する作品ではなく、観て、震えて、泣くための作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チェンソーマン レぜ編 考察】田舎のネズミと都会のネズミ、どこにも行けないモルモット - 野の百合、空の鳥

 

 

 

 

  ー『チェンソーマン』とは、感情が言語化されない物語であるー

 

 

   ☆愛している/愛していない

 

   ★信じている/裏切っている

 

 

 『チェンソーマンレゼ編』では、上記のような核心が、言葉で表現されていません。

 

 

 だからこそ、米津玄師と宇多田ヒカルの音楽が「感情の翻訳装置」として、観ている人々に刺さります。

 

 音楽がなれけば、レゼの言動は、ただの任務にも見えるし、ロマンチックな物語にも見えるし、冷酷なだけにも見えてしまいます。

 

 

 米津と宇多田の音楽が、レゼの言動を、固定的な体験ではなく、揺らぎのある体験にしてくれます。

 

 

 

 

 

 

20250921 チェンソーマン観てきた|シゲウィン

 

 

 

 

  ー沈黙が「選ばれなかった未来」を示すー

 

 

 『レゼ編』で最も残酷なのは、音が消える瞬間です。

 

 これが、藤本タツキ作品の、醍醐味でもあります。

 

 

   ★新幹線

 

   ☆待ち合わせ

 

   ★夜の街

 

 

 音がない事で「期待だけが残る」「未来が宙づりになる」という体験を、観ている私達はします。

 

 これは心理学的に「喪失を現実として固定する作用」があります。

 

 

 漫画ではページを閉じれば終わる音が消える瞬間が、映画では観客が待たされる体験に変わるのです。

 

 

 

 

 

狂わされたのはデンジだけじゃない!? 劇場版「チェンソーマン」を見てからずっとレゼのことを考えている【ネタバレ注意】 | 超!アニメディア

 

 

 

 

  ー誰も知らない少女の心「感情に名前をつけない物語」ー

 

 

 レゼは悪役なのか?

 

 この問いに『チェンソーマン』好きなら「NO」と答えるでしょう。

 

 

 

  「面白かったじゃなくて、苦しい。」

 

 

 『レゼ編』を観た、私の感想です。

 

 

 

   ☆恋だった

 

   ★裏切りだった

 

   ☆悲劇だった

 

 

 通常の物語は、上記のようなラベルをくれます。

 

 しかし『レゼ編』は、違います。

 

 

   ★好きだったかもしれない

 

   ☆任務だったかもしれない

 

   ★どちらも本当かもしれない

 

 

 

 『レゼ編」で、私達は感情を宙づりにされます。

 

 心理学では、これを「感情の未完結」と呼びます。

 

 

 人は「分かった感情」よりも「分からない感情」の方に、心が奪われる傾向があります。

 

 

 

 

 

デンジくんホントはね、私も学校行った事なかったの #チェンソー ...

 

 

 

  ー選ばれなかった未来を、わざわざ見せるー

 

 

 『レゼ編』は、選ばれなかった未来を、意図的に見せていきます。

 

 

   ★学校

 

   ☆普通の生活

 

   ★一緒に逃げる未来

 

 

 これらの未来を、実現させず・否定もせず、ただ消す。

 

 人は「失った現実」よりも「失われた可能性」に1番苦しむものです。

 

 

 そして、ファンを何度も劇場に足を運ばせる要因の1つが、映画特典として「レゼの選ばれた未来」を届けた事です。

 

 

夜の学校 #チェンソーマン

 

 

 

  ーまるで この世界に2人だけみたいだねー

 

  ーなんて少しだけ 夢をみてしまっただけー