「土方さんは、坂本龍馬のように大きな未来を描けるような人ではなかった。忠義を尽くすことに全霊を注ぎ、それを周囲にも強く求めた。規律に厳しく融通もきかない。それに命を懸けた人だ。でも、そんな土方さんを俺は好きだった。だから俺は、俺の忠義を尽くす。」
『刀剣乱舞』和泉守兼定の言葉です。
司馬遼太郎著『燃えよ剣』の土方、2004年大河山本耕史演じた土方、若しくは刀剣が擬人化した土方の愛刀・和泉守兼定、皆さんはどの土方が推しでしょうか?
私は『ゴールデンカムイ』の土方が推しです。
「五稜郭って何なんだ?」
「お城の跡だ。函館奉行所といって江戸幕府の役所がこの星の中心にあったんだよ。取り壊されてしまったがね。ロシアの南下政策からの防備や欧米との外交…蝦夷地の政治を担う場所としてつくられた。城を守るために土で盛った防護壁だけが今も残されている。」
「そして、我々幕軍が官軍と戦った最後の地。函館戦争の大舞台だ。」
「土方歳三は、この函館で死んだとされておりますよ。」
「兵どもが夢の跡。五稜郭で我々の夢は終わり、そして、また五稜郭から新しい夢が始まる。」
『ゴールデンカムイ』アシリパと永倉、土方、そして、永倉と土方の会話です。
私は、高校2年生の時、大河『新選組』を観ていて、融通の利かない土方が嫌いでした。
堺雅人演じる山南啓介の自害のシーンには、涙したものです。
そして、殺した幕府の脅威となる人の数より、粛清を重ねた自分の隊の数の方が多いという事実からも、この集団の存在意義を疑う時期も長くありました。
しかし、武士ではない彼らが新選組を守っていく為には武士以上に武士らしく振る舞わなくてはならないという歴史背景や、祇園祭の熱狂に紛れて京に火を放ち何万人もの命を犠牲に反乱を起こそうとする長州の過激派を抹殺した池田谷事変等、新選組という組織を掘り下げていくと、理解出来る部分や間接的に何万人もの命を救っている事実に気付きます。
そして、鉄の掟を作りそれを実行したのも、池田屋事変の陰謀を暴いたのも鬼の副長・土方でした。
「日本最後の武士は誰ですか?」と質問をされたら、現代を生きる多くの日本人は「土方歳三」と答えるでしょう。
武士の生まれではなく、その逆境に挑み続け、その為に苦楽を共にした仲間を自らの手で裁いてきた土方にとっては、何よりもの誉でしょう。
しかし、土方にあるのは武士道だけではありません。
土方は、時代の時流に乗る開放性も兼ね備えていました。
誰もが知っている土方の写真は西洋の服を着用していますし、砲弾や戦艦等、これまでの戦いにはなかった武器も積極的に取り入れています。
また、敗戦続きの幕府軍の中で、宇都宮城を落とす等、戦国武将さながらの城攻めもしています。
城攻めを成功させるには、戦術を駆使しなければなりません。土方はただ突っこむだけではなく、戦術を描く事も出来たのです。
武士道と新しい時代に適応していく開放性、この2つを兼ね備えた土方の世界観は、私達も見習うべきであり、その世界観は現代を生きる私達の中にも生きています。
土方は、負けを重ねる度に、優しくなっていきます。
函館戦争においては、昼間は戦神のように戦い、夜になると戦った兵士の下に赴き酒を振舞ったと言われています。
バラガキが、怒りを根源として青年となり、悲しみと悔しさと裏切りを知り、成熟した1人の魅力的な男になっていく。
この不器用な男の生涯を心に残す事が出来るのは、我々日本人の財産です。
1869年土方は函館戦争にて、戦死したと言われています。
しかし、土方の遺体が発見される事はありませんでした。
信長然り、真の英雄は、その死を明らかにしない事で、彼らの物語を後に生きる私達に自由に描かさせてくれます。
「私は、函館で死ねなかったことを負い目になどしていない…役目があるから生き残ったのだ。まだまだ走れる。そうだろう?ガムシン。」
『ゴールデンカムイ』土方の言葉です。