「奇跡でさえ起こるのには、時間が掛かるものなの。」
『シンデレラ』フェアリー・ゴットマザーの言葉です。
ウォルト・ディズニーは、子どもの頃から、絵を描く事が大好きでした。
7歳の頃には、自分で書いた絵を、近所の人に売っていました。
ウォルトの絵を始めて買ってくれたのは、地元の医師で、25セントで買ってくれたそうです。
ウォルトは、その後も絵を描き続け、日中は地元の高校に通いながら、夜はアートの専門学校に通い、絵を学びました。
その後、ウォルトは、漫画家を目指します。
初めは、新聞に漫画を描く仕事を請け負っていたものの、新米の絵描きへの仕事の依頼は殆ど無く、貧乏生活を送ります。
これを見かねた兄のロイが、知人に頼み込み、何とかウォルトに広告デザインの仕事を紹介します。
このように何とか食いつないでいたウォルトですが、映画制作会社にアニメーターとして雇われます。
それ以来、ウォルトは、アニメーションの魅力とその可能性に惹き込まれていき、自らの手で、アニメーション制作会社を立ち上げました。
20歳で立ち上げた最初の会社は、ウォルトが、経営状況よりも、アニメ制作に没頭するあまり、資金繰りに行き詰まり、倒産してしまいます。
しかし、ウォルトのアニメーションへの情熱が、消える事はありませんでした。
兄のロイとともに、再び、アニメーション制作会社を立ち上げます。
このウォルトが立ち上げた2度目の会社こそが「ウォルト・ディズニー・カンパニー」です。
ただし、そこでも、数々のトラブルが待ち受けていました。
1972年「ユニバーサル・ピクチャーズ(現ユニバーサル・スタジオ)」と繋がりを得たウォルトは、自社キャラクターとして「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案します。
このキャラクターが登場する作品は、大ヒットをします。
しかし、キャラクターの使用権等でトラブルとなり、愛すべきキャラクターも、共に汗を流したスタッフも失い、ウォルトは再び、倒産寸前まで追い込まれます。
現在も続く「ディズニー」と「ユニバーサル」のライバル関係は、「ディズニーランド」「ユニバーサル・スタジオ」が誕生する以前より、続いていたのです。
ウォルトは、諦めません。
「オズワルド」に代わるような、否、それ以上の人気キャラクターを生み出そうと奮闘します。
そこで、これまでの作品にも登場していた「敵役のネズミ」を主役に、大抜擢します。
この「敵役のネズミ」こそが、現在も、世界中で愛され続けている「ミッキーマウス」です。
「失敗したからって何なのだ?失敗から学びを得て、また挑戦すればいいじゃないか。」
ウォルトの言葉です。
夢はあるけれども、心配・不安等、色々考える事があって一歩を踏み出す事が出来ない、若しくは、歩み続けられないという人は、多いのではないでしょうか?
現在は、良くも悪くも、情報が豊富にあります。
勇気づけられるような情報もあれば、将来を不安にさせるような情報もあります。
さらに、手放しに挑戦出来るような社会ではないという事が、実情でもあります。
その為、夢を心に抱いたとしても、その夢に向かって突き進むのは、言うのは簡単、否、言う事すら困難であり、実際に行動に移すのはさらに困難なものです。
「私の夢は、私の夢で終わらせなければならないって、誰が言ったの?」
『リトルマーメイド』アリエルの言葉です。
心に抱く夢は、抱いているだけでは、夢のままです。
何かしらの行動を起こさない事には、状況は、何も変わりません。
そのような時、私達の気持ちを勇気づけてくれるのは、ノウハウ等の知識ではありません。
私達の気持ちを勇気づけてくれるのは「心の持ち方」を教えてくれ、背中を押してくれる言葉です。
ディズニーの作品にも、そのような言葉が、溢れています。
あなたの背中を押してくれるディズニーの言葉は、どのような言葉ですか?
「無限の彼方へ、さあ行くぞ。」