安心という舟で、子どもは世界へ漕ぎ出していくーアンパンマンミュージアムー
ーーアンパンマンミュージアムには、子どもが遊ぶ以上のものがある。
そこでは、まだ言葉にならない感情たちが、静かに動いている。
子どもは、生まれてからずっと、小さな世界の中で生きている。
親の声。家。保育園までのいつもの道。
子どもは、この繰り返しの中で、少しずつ「安心」を覚えていく。
けれど成長とは、その安心の外へ出ていくことでもあるーー。
♦子どもが、世界を信じる練習をする場所
子どもは、何故アンパンマンミュージアムで、あんなにも目を輝かせるのでしょうか?
大人から見ればーー
☆キャラクターショーがある
★遊べる場所がある
☆写真が撮れる
ーーそれだけの場所に見えるかもしれません。
しかし、子どもにとって、そこは単なる遊び場ではありません。
子どもにとって、アンパンマンミュージアムは、まだ広すぎる世界の中で、安心を持ったまま社会へ出られる場所なのです。
テレビの向こうにいたアンパンマンが、目の前に現れる。
空想だった世界が、現実と繋がる。
その瞬間、子どもの中では「世界は怖い場所ではない」という感覚が静かに育っていきます。
アンパンマンミュージアムとは、子どもが初めて世界と出逢う場所なのかもしれません。
ーーアンパンマンミュージアムで、子どもが走るのは、興奮だけが理由ではない。
テレビの中にいた存在が、目の前に現れる。
空想が、現実に触れる。
その瞬間、子どもの中で、想像していた世界と、現実の世界が、初めて繋がる。
だから、子どもはアンパンマンミュージアムからの帰り道で、眠り続ける。
機嫌が悪くなるかもしれない。同じ話を繰り返すかもしれない。
でも、安心して。
それは、小さな身体で、大きな世界と接続した余韻を処理しているということだからーー。
ー壊れないことが強さではない。壊れても、また誰かへ向かえることが、本当の強さであるー
幼い子どもにとって世界は、理解不能な巨大な場所です。
大人は、街・駅・店等を社会として認識しますが、子どもにとってはーー
★知らない人が近づく
☆自分の思い通りにならない
★欲求がすぐに満たされない
ーー等という不確実性の連続です。
人は、未知の世界へ出る時、不安を感じます。
だから、子どもは「安心できる象徴」を持ちながら、世界へ出ようとします。
子どもが、保育園・幼稚園にお気に入りの人形を持っていく理由も、ここにあります。
アンパンマンミュージアムにおいては、その象徴がアンパンマン。
アンパンマンは、単なるヒーローではありません。構造としてはーー
☆顔=自己そのもの
★顔を分ける=自己を差し出して他者を助ける
☆新しい顔で回復する=自分が壊れても再生できる
ーーという自己と他者の循環を持った存在です。
ーーアンパンマンは、強いから愛されているのではない。
弱くなるから、愛される。
顔が欠け、力が弱まり、それでも誰かを助けようとする。
そして、また、必ず戻ってくる。
子どもは、そこに「壊れても終わりじゃない」という感覚を、見ている。
アンパンマンミュージアムで、子どもが目を輝かせるのは、アンパンマンが好きだからだけではない。
安心していい世界が本当に存在したと、身体で理解しているからだ。
だから、子どもは何度も手を振る。
だから、子どもは何度も名前を呼ぶ。
だから、子どもはまた行きたがる。
それは、執着ではない。
「この世界なら、自分はいていい」という確認なのであるーー。
ー子どもは、安心という小さな舟に乗って、初めて世界いう海へ出ていくー
子どもは、アンパンマンを見ながらーー
☆自分は、消えてしまわない
★困っても、戻ってこられる
ーーという存在の安定性を学びます。
だから、アンパンマンミュージアムは、キャラクターを見る場所ではなく、安心の中で世界と出逢う練習をする場所になります。
ーー親は、子どもを守ることばかり考えてしまう。
転ばないように。傷つかないように。怖がらないように。
ただ、本当に大切な部分は、違うのかもしれない。
親ができるのは、世界を消すことではない。
親ができるのは、この世界には安心して近づいてもいいものもあると、静かに教えることなのかもしれない。
アンパンマンミュージアムからの帰り道、眠ってしまった小さな手を握りながら、ふと思う。
今日この子は遊んだだけではない。
少しだけ、世界を信じる練習をしたのだとーー。
ー親は子どもを世界から隠すためではなく、世界へ出逢わせるために、抱きしめるー
子育てとは「管理」ではありません。
子育てとは、少しずつ安心を持たせながら、子どもを世界へ送り出す事です。
アンパンマンミュージアムは、この最初の儀式に近いのかもしれません。
だから、親は、疲れても、混んでいても、値段が高くても、また連れて行ってしまう。
それは、合理性では説明出来ない。
親自身が説明が出来なくても、子どもが世界と繋がる瞬間を、本能的に感じているからなのかもしれません。