愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ2

 昨日8月15日は、終戦記念日であり、今年で戦後76年になります。

 私は、大学時代に「あの戦争とは何だったのか?」を勝手に自身の課題とし、読書をし、映画を観て、現地に足を運び戦争経験者等と多くの会話を重ねてきました。

 広島や長崎の被爆者の方、沖縄戦を体験された方と、お話が出来たことは私にとって貴重な経験でしたが「戦争はこんなに悲惨なもの。」ということをただ伝えるだけで良いのかという新たな課題が見つかりました。

 もちろん、戦争は悲惨なもので、2度と繰り返してはいけないことであることは百も承知です。

 ですが、私達が学ぶべきは、日本が何故無謀な戦争に挑むことになってしまったかということではないかと思います。

 日本の政治の中枢にいた人だけではなく、日本の世論も戦争に挑むことに肯定的であったことは、当時の資料からも窺うことが出来ます。

 そのような中、戦争に反対だった人物に山本五十六がいます。

 山本は海軍大将でありながら、最後まで戦争に反対の姿勢を貫いていましたが、山本の意見が通ることはありませんでした。

 山本は、ハーバード大学に留学し、当時のアメリカと日本の軍事力の差を知ることが出来ていた数少ない日本人です。

 しかし、戦争反対という山本の意見が通ることはありませんでした。世論や世界の軍事力を理解していない人達の根性論が通り、日本は戦争に足を踏み入れることになりました。

 このようなことは、現代にも多く生じていると思います。

 会社の利益に反するにも関わらず、昔からの慣習を貫いたり、粉飾決算を黙認したり、パワハラを黙認したり等、山本が戦争を止めることが出来なかったことと、何ら変わらないことが今日も多く生じています。

 また、山本が現在の新潟県にあたる長岡の出身であることも原因に挙げられると思います。

 長岡藩は、戊辰戦争における北越戦争で敗北した、所謂幕末維新の敗北者です。

 その敗北した長岡藩のヒーローとして、長岡藩の人や幕末維新に敗北した多くの人達が山本に期待をしていました。

 この期待を裏切ることが出来ないという構造も、山本が戦争反対したにも関わらず、戦争に踏み切った後も海軍大将であり続けた要因の1つであると推測出来ます。

 当時の日本史において、日本を最も客観的に捉えることが出来た山本の意見が何故通らなかったのかを考えることが、未来に繋がる戦争との向き合い方になるのではないでしょうか。