「金額もさることながら、注目すべきところは、2丁買ったという点‥なぜ種子島時敬は、2丁買ったのか?」
『インベスターZ』日本史教師の言葉です。
♦2丁の銃が、日本史を大きく動かす
ー銃がなければ、天下統一は出来なかったー
後の世から日本史を振り返ると、上記のような仮説を立てる事が出来ます。
銃が日本の戦に取り入れられるようにより、戦の様態は、大きく変わりました。
これまでの、肉体VS肉体の戦いから、科学の力による戦いに、変わったのです。
「1丁は、使うため。1丁は、分解するため。」
『インベスターZ』財前の言葉です。
中国の闇商人と、種子島時敬の利害が、一致した結果、日本に初めて「火縄銃」が、輸入される事になりました。
時敬は、2丁の「火縄銃」を購入し、自ら生産する事が出来るように、分解し「火縄銃」の生産に取り掛かります。
しかし「火縄銃」を、上手く複製するには、複数の壁が立ちはだかりました。
設計図もない中、見た事も聞いた事もない「火縄銃」を作る事が、中々出来ない事は、想像に難くありません。
ただ、偶然か必然か、運は、時敬、否、日本に味方します。
★噂を聞きつけた腕に自信のある刀鍛冶が、種子島に集結した
☆種子島の海岸には、銃を作る為に不可欠な鉄の成分である砂鉄があった
★火薬の原料である木炭・硫黄は天然で存在し、硝石の自給にも成功する
日本が戦国時代に世界一の銃所有国になった理由の1つは、銃を作る優秀な鍛冶職人が、存在していた事にあります。
…何という集中力!!この玉壺に気づかぬ程の没頭!!…
…きっ気に喰わぬ!!私とて、これ程集中したことはない!!芸術家として負けている気がする!!…
『鬼滅の刃』玉壺の脳内言葉です。
現在でも平安時代からの刀が現存するー刀鍛冶が作り上げてきた刀剣。
その刀を作る知識・能力・経験を、銃を作る事に活かしてきたという背景が、遅れながらに「火縄銃」を輸入した日本が、僅か数十年で、世界一の銃大国となった理由です。
ポルトガル・スペイン等のヨーロッパの列強が、日本に接触してきた目的は、日本を支配下に置く事でした。
しかし、支配下に置こうとした国が、瞬く間に銃という軍事力を備え、ヨーロッパの列強が迂闊に手を出す事が出来ない軍事大国に、生まれ変わったのです。
これが、大航海時代に、日本が、ヨーロッパ列強の植民地とならなかった理由です。
数々の壁を乗り越え、時敬は「火縄銃」の生産に、成功します。
そして「火縄銃」をひっさげ、屋久島を取り戻す事にも、成功します。
★あなたが、時敬なら「火縄銃」の生産を全国に広めるか、自分達だけのものにしておくか?
あなたなら、どちらの選択をしますか?
時敬は「火縄銃」の生産を包み隠さず、薩摩の島津氏に伝えました。
島津氏は、これを室町幕府将軍に、報告します。
これにより、日本中に、瞬く間に「火縄銃」が出回る事になります。
この選択により、種子島は、戦後時代から江戸時代に掛けてまで、1度も戦場になる事がありませんでした。
勿論、その副作用はあります。
50万丁もの銃が存在した戦国時代。
戦場は、悲惨を極める惨状となりました。
人は、銃を持つと男性ホルモンとして有名な「攻撃性」を図るホルモンである「テストステロン」が、100倍強く出るようになります。
銃が戦場に入る事で、何万・何十万もの人の命が、奪われました。
ただ、銃が入る事により日本は、大きな変化の時代となります。
戦国時代は、戦の時代であると同時に、高度成長の時代でもありました。
★城の築城
☆城下町を作る
★道路・河川等のインフラを整える
これらの技術は、戦国時代により、培われたものです。
現在、種子島は、国産ロケットの発射地となっています。
戦国時代の始まりの地から、宇宙への挑戦が行われている事は、偶然か必然か、とてもロマンがあります。