「春は夜桜。夏には星。秋には満月。冬には雪。それで十分酒は美味い。」
「それでも不味いんなら、それは自分自身の何かが病んでいる証拠だ。」
『るろうに剣心』比古清十郎の言葉です。
♦春の美しさも、夏のそれも、秋のような気品を持っていない
二十四節季において、9月23日~10月7日までを「秋分」と呼びます。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、今週になり、東京はようやく猛暑日がなくなってきました。
「秋分」は「春分」と同じく、太陽が真東から出て、真西に入り、昼夜の長さが、ほぼ等しくなる日です。
「秋の彼岸」は「秋分」とその前後3日間の、計7日間を指します。
「彼岸」とは、仏教の中の言葉で、先祖のいる極楽浄土(あの世)を意味します。
太陽が真西に沈む「秋分の日」には、先祖のいる極楽浄土へ思いを寄せ、お墓参りをするという習慣が、日本においては古から行われてきました。
9月23日の「秋分の日」の前後は、祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日とされています。
…大切な暦が一部欠けて…
…遺された月達は盛大に葬うだろう…
…喪服の楽団が奏でる旋律で…
…霜月は高く穏やかに運ばれていく…
『HUNTER×HUNTER』クロロの占いです。
♦秋の日差し程貴重なものを、家に籠って無駄にするなど耐えられない
「秋分の日」は、元々「秋季皇霊祭」という祭祀が元になっています。
「秋季皇霊祭」とは、1848年に祭日として制定されたもので、毎年「秋分の日」に行われていた歴代の天皇や皇后・皇族の霊を祭る宮中祭祀です。
終戦後、1948年に「秋季皇霊祭」は廃止となり、それに変わる形として「秋分の日」が国民の祝日に定められました。
「秋分」の旬の食材は、①おはぎ②葡萄(ぶどう)③里芋です。
①仏教では、昼夜がほぼ同じ長さになる「秋分の日」「春分の日」を「この世(此岸)とあの世(彼岸)が最も近くなる日」と考えています。
日本では「秋分の日」におはぎを食べる習慣があります。
国民に広まったのは、江戸時代後期であり、縁起の良さや栄養価の高さから、人気となり、この習慣は現代まで続いています。
おはぎに使われている餅や小豆は「縁起物」とされており「秋分の日」の食べ物として古くから親しまれてきました。
餅には「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」の願いが、小豆(あずき)の赤色には「魔除け」の効果があるして、先祖に供えられるようになりました。
おはぎに使われる砂糖は、かつて貴重品とされていました。
その為、甘味が少ない時代では、おはぎは、特別な日にしか食べる事が出来ない御馳走でした。
おはぎの材料である小豆には、良質な「タンパク質」と「鉄分」「亜鉛」「カリウム」等の「ミネラル」が多く含まれています。
栄養豊富である事も、古(いにしえ)から現代に至るまで、おはぎが食べられ続ける理由です。
②葡萄は、世界中で愛されている果物です。
その歴史は非常に古く、紀元前4,000年頃の古代オリエント・古代ペルシャに、すでに栽培されていました。
そこから、シルクロードを通って中国へ伝わり、日本へも伝わってきたとされています。
日本に伝わってきたのは、奈良時代とされています。
身体に怠さを感じる要因には、エネルギー不足の場合が多いもの。
「ブドウ糖」という言葉があるように、葡萄は、エネルギー補給に、最適です。
葡萄の栄養分としては「ポリフェノール」が挙げられます。
ワインを適量飲む事は、健康に良いと聞いた事があると思います。
これは、ワインに含まれる葡萄の皮の部分に、強い抗酸化作用が含まれている為です。
「巨峰」のような黒っぽい皮には「アントシアニン」という「ポリフェノール」が含まれており、これは目の健康に効果的です。
③里芋は、親芋を取り囲むように子芋が成長します。
その為、里芋は「豊作と子孫繁栄」の象徴として、古くから、日本人に食されてきました。
里芋は、非常に長い歴史がある野菜であり、驚くべき事に、縄文時代から、日本人は、里芋を食べてきました。
稲作が始まる前の日本においては、里芋が、日本人の主食であった時代がある程です。
里芋には、「カリウム」が多く含まれ、身体の浮腫みの原因となる余分な「ナトリウム」を排出する働きがあります。
さらに、独特のぬめり成分は、胃の粘膜を保護しながら、腸内環境を整える働きがあります。
食事が、美味しくなる重要な要素は、2つです。
1つは、空腹である事。
もう1つは、旬の食材を味わう事。
旬の食材を味わい、心と身体に栄養を補給して、今日も人生を乗り切っていきましょう。