望まぬ運命が不幸とは限らない

 「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ。」

 「望み過ぎて不幸になった者達を多く見てまいりました。得たものの代わりに何を失ったかも分からず、ずっと欲に振り回され‥わたくしは、泥の中でも咲く花になりとうございます。」

 『平家物語』徳子の言葉です。

 

 人が悩んでしまう理由の1つに、判断し過ぎる心があると思います。

 判断とは、この仕事に意味があるのか、人生に意味があるのか、他人と自分どちらが優れているのか等の決めつけや思い込みの事です。

 「どうせ自分なんて。」と思う心も判断です。

 失望や落胆、不安、評価等も判断です。

 

 たとえば、人と別れた後、いい人・悪い人、好きな人・嫌いな人等と他人を評価する人がいます。

 他にも「自分は絶対正しい。」と思い込んでいる人もいます。

 人の意見を聞かずに自己主張ばかりし、そればかりか、人に意見されると逆上するというオマケ付きです。

 判断は、自身の性格にも大きく影響します。

 「こうでなければ。」という思い込みは、完璧主義・頑張り過ぎてしまう性格を作り出します。

 また、完璧主義の人が、壁にぶつかると「自分は駄目な人間だ。」という自己否定のレッテルを自身に貼り付けてしまいます。

 

 このように、判断は、不満・憂鬱・心配等、たくさんの悩みを作り出していきます。

 判断する事を重ねてきた事で、ヒトは地球の支配者になった事も事実です。

 しかし、判断が私達を苦しめている事も事実です。

 「何か最近モヤモヤしているな。」「何か最近楽しくないな。」等と感じているのなら、一度判断という執着を手放してみてはいかがでしょうか。

 徳子のように、たとえ望まぬ運命だったとしても、そこで「私は悲劇のヒロインである。」等と判断せず、その運命の中で、自身の生き方を見つけていく事も素晴らしい事であると思います。