「蝮」と呼ばれた戦国期美濃の大名斎藤道山は、元は京都で油を売っていました。  秀吉同様、油売りから大名までになった実力者です。  当時、油は荏胡麻からしぼって採るため、生産量が少なく、希少なものでした。  その上、生産も流通も中世的な統制機構である「座」が握り、商いに流動性がありませんでした。  そのため、荏胡麻から採る油は高値であり、庶民には行き届きませんでした。  当時、夜は寝るものと決まっていました。  道山が戦場で死ぬ頃、つまり信長が活躍し始めた頃、日本に菜種という大量に油が採れるものが伝わりました。  道山の晩年、菜の花畑の景色を見るにつれ、感慨があったことでしょう。  道山の死後、信長は楽市楽座という自由経済主義を推進し、中世的な「座」を壊滅させます。  同時に庶民の家にも、夜は灯がともるようになりました。