「一生壁の中から出られなくても‥メシ食って寝てりゃ生きていけるよ‥」
「でも‥それじゃ‥まるで家畜じゃないか‥。」
『進撃の巨人』エレンの言葉です。
♦青森ではSuicaが使えない
青森に、行ってきました。
驚いた事に、青森駅から出ている電車である「青い森鉄道」が「Suica」等の交通系ICカードが使えませんでした。
①電車に乗車し、整理券を取る
②整理券とともに、乗車した駅からの運賃を現金で用意する
運賃を現金で支払う事への対応の為だけに、2車両しかない電車に、運転手ともう1人乗務員が、乗車していました。
私が、青森駅から向かったのは「浅虫温泉」です。
観光地であり、主な産業はホテル等の宿泊業である為「浅虫温泉」は、観光客の誘致をしなければ、生き残っていく事が出来ません。
それにも関わらず「浅虫温泉」に繋がる路線が「Suica」等の交通系ICカードが使えない事は、致命的です。
電車の会社の人やホテルの従業員等にも、上記の事を質問しましたが、地元の当事者達は、疑問にも感じていない様子でした。
「浅虫温泉」は、温泉も気持ち良かったし、料理も美味しく、人も良いにも関わらず、非常に勿体ないと感じてしまいました。
かつて、山口県を旅行した時にも、全く同様の思いをした事があり、日本列島の端と端において、同様の課題を感じる事が出来た事は、ある意味、旅行の収穫です。
「戦わなければ、勝てない。」
『進撃の巨人』ミカサの言葉です。
♦かつての青森駅には、北への玄関口として栄光の時代があった
現在の青森駅周辺は、端的に表現すると、ショボい感じがします。
観光で青森に来た人は、ガッカリした気持ちになるのではないでしょうか?
かつて県都である青森市の玄関口である青森駅は、廃止された青函連絡船への乗換駅であり、本州と北海道を結ぶ、重要な役割を果たしていました。
‥上野発の夜行列車 おりた時から‥
‥青森駅は 雪の中‥
‥北へ帰る人の群れは 誰も無口で‥
‥海鳴りだけを きいている‥
‥私もひとり 連絡船に乗り‥
‥こごえそうな鴎見つめ 泣いていました‥
‥ああ 津軽海峡冬景色‥
かつての青森駅には『津軽海峡冬景色』の歌詞そのままの情景が、見られていました。
また、東北本線は、1891年(明治24年)上野~青森間が、開業しました。
開業時、上野~青森間の列車は、1日1往復、最短26時間25分で、結ばれていました。
☆徒歩:20日
★馬車:12日
東北本線による上野~青森間が開業するまでは、徒歩で20日、馬車で12日掛かっていた上野~青森間の移動が、約1日に短縮されたのです。
これは、東京~青森間の交通体系に、大変革をもたらしました。
★東北地方初の特急「はつかり」が上野~青森間で運転開始
☆日本初の寝台特急「はくつる」が上野~青森間で運転開始
上記のように、国の施策に乗っかるような形で、青森は、栄光の時代が続きました。
しかし、栄光とは自らの手で掴まなければ脆いもの。
国の施策の転換により、青森の栄光の時代は、終焉していきます。
☆青函トンネルが出来た事による青函連絡船の廃止
★東北新幹線開業による特急列車の利用客減少による廃止
これにより、青森に物が集まり、人が集まり、経済が発展していくという好循環は、終焉を迎えます。
「戦わなければ、勝てない‥。」
『進撃の巨人』エレンの言葉です。
♦青森に住む人の収入は、国家事業頼みになっている
1位:六ケ所村 3,230,000円
2位:三沢市 2,990,000円
3位:大間町 2,970,000円
青森県の所得ランキングは、六ケ所村が323万円であり、ダントツです。
2位の三沢市よりも、24万円も、所得が多いです。
この理由は、原子力施設です。
村に住む人達の多くが、原子力施設で、働いている為、所得が高くなっているのです。
村内にある音楽ホールや温泉保護施設等も、国から支給される「原発交付金」を元手に建てられています。
暫く原発マネーによる恩恵は受けられると思われますが、交付金自体は、年々減額されている為、未来の先行きは、不安定なものです。
青森県の平均年収を上げている要因は、国による事業や助成金を受け取っている自治体と、その自治体で国による事業で働いている人による所が大きいです。
しかし、これでは、青森駅と同様の未来を描く事になるのは、想像に難くありません。
様々な場所に旅行に行く事で、様々な課題を実際に経験し、考える事が出来る事は、私にとっては、とても貴重な経験です。
壁から守られている事に疑問を抱きましょう。
壁の外に、出ましょう。