「私どもが夏目漱石と正岡子規、もしくは森鴎外を所有していることの大きさは、その文学より以前に、かれらが明治30年代においてすでにだれもが参加できる文章日本語を創造したことである。文章を道具にまで還元した場合、桂月も鏡花も蘇峰も一方的にしか通用しないが、漱石や子規の文章は愚痴も表現できれば国際情勢も論ずることができ、さらには自他の環境の本質や状態をのべることもできる。本来、共通性へ参加してゆく文章語はそうあるべきであるものといっていい。」
『文章日本語の成立と子規』司馬遼太郎の一説です。
大学生の時、この一説を読み批評の素晴らしさに感嘆した事を記憶しています。
対象者への愛があれば、批評もポジティブになるのだと学んだ1つでもあります。
現在、漱石や鴎外が執筆を重ねた場所の近くで暮らし、子規が眠る場所の近くで仕事が出来ている事は、大学時代彼らの文学に惹かれた私にとっては、この上ない贅沢です。
私は、家賃の一部を彼らに支払っているような感覚でいます。
「死ぬまで進歩するつもりでやればいいではないか。作に対したら一生懸命に自分のあらんかぎりの力をつくしてやればいいではないか。後悔は結構だが、これは自己の芸術的良心に対しての話で、世間の批評家や何かに対して後悔する必要はあるまい。」
漱石の言葉です。
漱石の作家デビューは、38歳です。
望まぬ子として生まれ、養子に出され、実家に戻され、再び養子に出される等、波乱万丈な半生を送ってきた漱石は、その中でも読書をする事だけは欠かしませんでした。
膨大な量の文章をインプットしていた漱石は、司馬さんの言葉通り、日本文学に革新を与え、デビューから瞬く間に頭角を現します。
しかし、これまでにない文章を描く漱石には、心無い批評も多くありました。
神経衰弱のある漱石は、現在でいうアンチや悪意のコメントに悩まされていました。
上記の言葉は、漱石自身がそのような社会から自分を守る術を自らに言い聞かせているようであるとともに、現代を生きる私達にも通ずる心構えであると思います。
大切なのは、自分が取り組む作品や仕事なのであり、誰から何を言われようとも、その知らない誰かの為に謝罪したり、後悔したりする必要はありません。
自分の作品や仕事に対しての批判を、素直に受け止める事は大切です。
漱石の言葉通り、自分は死ぬまで進歩を続ける気概なのであれば、そうした批判は成長の糧となります。
ただし、批判した人に対して、特別な感情を抱く必要はありません。