超南北朝時代ー二千年後の君へ7

 

 ‥身勝手で予測不能なカリスマは、何をしても大衆が勝手に良い方に解釈し、信仰する‥

 ‥決断した尊氏は、速かった。新田軍を一蹴し、勢いのまま帝のいる京へ迫り、後醍醐政権は崩壊の危機を迎えた‥

 

 ‥だが、その時、稲妻のような進軍速度で、はるか奥州(おうしゅう)から、帝を護りに駆けつけた貴族がいた‥

 『逃げ上手の若君』秀吉の中国大返しの1,5倍の進軍速度で、後醍醐天皇を護りにかけつけた北畠顕家に対する解説です。

 

風林火山の旗とともに先代から京都に駆けつけて当時最強と言われた足利軍を蹴.. | 哲学 さんのマンガ | ツイコミ(仮)

 

 

 

  ☆中国大返し

  ★風林火山

  ☆大政奉還

 

 豊臣秀吉・武田信玄・坂本龍馬の、伝説です。

 

 しかし、上記3つを、戦国時代の200年以上以前に、南朝の貴公子が、実現していました。

 

 

 尊氏が後醍醐天皇に最初の謀反を起こした時、北畠顕家は、後醍醐天皇に命じられ、奥州(現在の東北地方一帯)を統治していました。

 援軍の要請を受けた北畠顕家は、奥州から京都を目指します。

 

  ☆10日で230㎞

  ★22日で800㎞

 

 上記が秀吉の中国大返しの進軍速度です。

 下記が北畠顕家の進軍速度です。

 

 なんと、秀吉の伝説の200年以上前に、北畠顕家は、秀吉軍の1,5倍の速さで進軍を成功させていたのです。

 

 

 

 「ねえねえ顕家様。前から思ってたけど、この旗って何?」

 「風林火山だ。疾きこと風の如く・徐かなること林の如く・侵略すること火の如く・動かざること山の如し。孫子の兵法の軍の動かし方。余の軍に相応しかろう。」

 …顕家様の軍は、風と火がほとんどな気が…

 

 ‥北畠顕家を祀った神社に、風林火山の旗が収められており、顕家の父・親房の書だと伝わっている‥

 

 「亜也子は、諏訪大社の巫女だったな。この旗を奉納しておけ。諏訪明神の信者が、いつかそれを見れば、余を理解する大軍略家に化けるかもな。」

 

 『逃げ上手の若君』亜也子と北畠顕家の会話と解説、そして、顕家の言葉です。

 

Tips】風林火山 疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山 『孫子』の一節.. | 平野レミゼラブル@C104日曜東C20a さんのマンガ |  ツイコミ(仮)

 

 

 北畠顕家を祀った神社とは、大阪の阿倍野神社です。

 そして、後の戦国時代・諏訪明神を信仰していた武将こそが、武田信玄です。

 

  ♦北畠顕家と武田信玄が繋がる

 

 この発見をする事が、歴史を学ぶ醍醐味です。

 

 

 

 

 ‥決戦の1週間前。北畠顕家は、後醍醐天皇に手紙を書いた‥

 ‥「建武の新政」の問題点を痛烈に批判し、改善を促す内容だった‥

 

 「地方の声をよく聞き!民の税を軽くし!人事は公正に!贅沢はやめ!法を明確に!能力有れば庶民でも登用を!無能で忠無き公家達より、忠義に溢れた辺境の雑兵共に恩恵を!」

 「我が諫めに帝がお従いにならないなら、顕家は職を辞していなくなります!」

 

 ‥21歳の若者が、天皇を直にディスり回すというとんでもない手紙‥

 ‥滲み出るのは、帝と国を思う真心。曇りなき自分への自信。北の民への強い信頼。そして、忍び寄る死への覚悟。それは、まるで遺書だった‥

 

 『逃げ上手の若君』北畠顕家が後醍醐天皇に贈った手紙の解説です。

 

わむ on X: "#逃げ上手の若君 今週の逃げ若、かなり盛りだくさんですね。北畠顕家上奏文と宮中で陵王を舞ったエピソードを取り上げてました。そう言えば久々に後醍醐天皇が顔出ししてましたが、前回といい今回といい、最後の戦いの前なんですよね。次の石津の戦い、かなり  ...

 

 

 

 現在から686年前、北畠顕家は、現在にも通ずる内容の手紙を、後醍醐天皇に贈っていました。

 

 

  1338年:石津の戦い

  1867年:大政奉還

 

 顕家の手紙から、529年後の幕末、幕末の英雄・坂本龍馬も、幕府と長州・薩摩との武力衝突を避ける為の手紙を記します。

 この手紙は、土佐藩から、徳川慶喜に渡されます。

 この手紙も1つのきっかけとなり、慶喜は「大政奉還」をし、政権を朝廷に返上します。

 

 

  ★700,000~900,000人

  ☆8,000人

 

 上記が、アメリカ最後の内戦・南北戦争の死者数です。

 下記が、日本最後の内戦・戊辰戦争の死者数です。

 

 時期をほぼ同じくした日米の最後の内戦では、死者数に、驚くべき差が生じている事が理解出来ます。

 この要因の1つが、慶喜が実施した「大政奉還」です。

 

 内戦における死者数を抑える事で、日本は、国力を失わずに、次の時代に進む事が出来ました。

 これにより、外国からの統治を受ける事もなく、瞬く間に近代化をする事に成功します。

 

 

  ♦北畠顕家と坂本龍馬が繋がる

 

 この発見をする事が、歴史を学ぶ醍醐味です。

 

 

 

 「この諫言が帝に最も響くとすれば、それは余が勝った時か、死んだ時だ。」

 「勝った時は、余が直接帝に申し上げる。死んだ時は、逃げ上手の若(なんじ)が帝にこれを届けよ。」

 

 「‥‥顕家卿。貴方は、いつもせっかちで、結論を急ぐ。いつも貴族意識丸出しで、差別主義者で、派手好きで出しゃばりで、意地悪で、自分が上に立たないと済まなくて、迅くて強くて、言いたかないけど美しくて!」

 「悠々と前を行きながら、こんな子供にも敬意を持って接してくれた!僭越だけど、兄のように思っています!」

 「必ずや弟が兄を勝たせます!帝への文句は、貴方が直接言って下さい!」

 

 「結構。そうしよう。」

 

 『逃げ上手の若君』北畠顕家と北条時行の会話です。

 

平野レミゼラブル@C104日曜東C20a on X:  "北畠顕家、バリバリの選民意識を持ちながらその意識に見合うだけの能力を持ち、尊大だけど相手を見極めたあとは爽やかに接する……複雑怪奇に傲慢な師匠キャラとして立ったな……太陽故に暖かいが試練を与える存在でもあり、近付きすぎる  ...