超徳川将軍物語-二千年後の君へ30

 

 

 「余は、生まれながらの将軍である。」

 

大河ドラマ 葵 徳川三代 - 動画配信 | NHKオンデマンド

 

  『葵 徳川三代』徳川家光の言葉です。

 

 

  ♦3代目将軍:徳川家光

 
  幕府体制の確立と強化
 
 ☆役職の制度化老中・若年寄・奉行等の幕府内の役職の職務と権限を定め、将軍を頂点とするピラミッド型の幕府機構を確立。
 
 ★参勤交代の制度化全国の大名が1年おきに江戸と自分の領地を行き来する参勤交代を義務化し、大名達を幕府の支配下に置く。
 
 ☆幕藩体制の確立祖父家康が開いた幕府の支配力をより一層強化し、江戸幕府が260年間続く平和な時代の基礎を築く。
 
 
 
  対外関係の整備
 

 ★鎖国の完成::キリスト教の禁教を徹底し、 島原の乱を経て対外貿易を制限し、鎖国体制を完成させる。

 ☆江戸城の完成:江戸城が完成し、現在まで続く江戸の街の原形を作る。

 ★日光東照宮の改築祖父・家康の墓所である日光東照宮の大規模な改築を行い、家康を神とする日光東照宮を完成させる。

 

 

 春日局と徳川家康のおかげで、将軍になった家光は、法令を整え、政治機構を整備します。

 その中で、危険な大名を次々に改易するとともに、鎖国制度を完成させ、大名からも、外国からも、侵略される事のない「徳川政権」を盤石のものとします。

 

  ※改易:武士に課された罰であり、身分を平民とし、家禄・屋敷を没収するもの

  ※家禄:主君が家臣に与える給料

 

 余談ですが、家光は、青年時代、男性にしか興味を示しませんでした。

 これを心配した春日局は、少年のような少女を家光に与え、女性への関心をもたせようとします。

 この春日局の行動は、成功し、以降、家光は女性に興味を示すようになりました。

 

 

 

 「オレに共感性がないことを差し引いても、人の心は矛盾している。」

 「誰もが自分をわかってほしいと願いながら、他人からの理解にアレコレと注文をつける。」

 

 「共感は欲しいが、見透かされたくない。応援を求めるが、見下されるのは嫌。同情は優しさだが、憐れむのは無礼。」

 「わかり合いたいと言葉では話すが、その実、無数の隠し事をする。なぜだか、わかるか?」

 

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 「全てを理解されてしまえば、自分が特別じゃなくなるからだ。」

 「人は理解できないものを特別だと思い、度を越えたモノを天才や異常者と呼ぶ。」

 「オレの理解は、お前を凡人に変えるんだ。」

 

  『ジャンケットバンク』三角誉の言葉です。

 

 

 

  ♦4代目将軍:徳川家綱

 

 家光の長男・家綱は、父・家光の死により、僅か11歳で将軍職を継ぎます。

 それ故、自ら政務を司る事は出来ず、幕政は、老中を中心とする家臣達による集団協議により運営されていきます。

 

 
 ★慈悲深さの表れ
 遠島に処された罪人への食料供給を命じたことは、命を助けている以上、食料も与えるべきだという彼の慈悲の深さを示している。
 
 ☆民への配慮

 天守から遠眼鏡で江戸の街を見渡すことをやめたのは、もし自分が遠眼鏡を使っていると知られたら、江戸の民が嫌な思いをするだろうと配慮したためと伝えられている。

 ★合議を重んじる政治姿勢

 多くの案件に「左様せい」とだけ決裁したことから「左様せい様」と呼ばれていた。これは家臣任せにしていたのではなく、幕閣の合議を経て将軍が最終的な決裁を行うスタイルがこの頃に整えられたことを示している。

 

 

 家綱は、成人してからも病気がちであった為、幕政は、引き続き老中を中心とする家臣達が行っていきます。

 その為、彼の言葉等は残されておらず、彼が行った功績等も特にありません。

 しかし、上記のような逸話が語り継がれており、言葉よりも、行動や人柄で、理念や政策を示す人物であったのではないかと想像出来ます。

 

 また、家綱は、嫡子に恵まれませんでした。

  ※嫡子:家の跡継ぎをする子ども

 そして、次の将軍は、家綱の弟である綱吉に引き継がれます。

 

 

ロジャーが待ってる男は・・少なくともティーチ・・・おめぇじゃねぇ・・。 ロジャーの意思を継ぐものたちがいるように、いずれ・・エースの意志を継ぐ者もあらわれる・・・。 血縁は断てど、あいつらの炎が消えることはねぇ。そうやって遠い昔から、脈脈と受け継がれていった・・。 そして未来、いつの日か、その数百年分の歴史すべて背負ってこの世界に戦いを挑むものがあらわれる・・・

 

 

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  『ONEPIECE』白ひげの言葉です。

 

 

 

  ♦5代目将軍:徳川綱吉

 

 文治政治への転換と学問の奨励

 ☆儒学の重視:綱吉は儒学を重んじ、父の家光の教えに従って儒学の道に進む。
 
 ★湯島聖堂の建立:儒教の祖・孔子を祀る湯島聖堂を現在の文京区に建立し、学問の中心地とする。
 
 ☆学者の輩出:新井白石・荻生徂徠等、後世に名を残す多くの儒学者を育成・登用し、学問の奨励に努める。
 
 
 
 生類憐みの令
 
 ★法令の趣旨:綱吉は、人々の間に軽視されていた命の尊さを教えるため、「生類憐みの令」を発布。
 
 ☆具体的な内容:物の殺生禁止・捨て子や間引きの禁止・傷病者の保護・病人の食事提供等、現代の福祉政策にも通じる法令も含まれていた。
 
 ★批判と影響:しかし、極端な愛護令として人々からの評判が悪く、「犬公方」というあだ名で呼ばれる。
 
 
 
 財政と経済の混乱
 
 ☆貨幣改鋳:幕府の財政を立て直す為荻原重秀に貨幣の改鋳を命じたが、かえって経済の混乱を招く。
 
 ★財政悪化:側近である柳沢吉保らを重用し、老中を遠ざけた事や、大規模な建設事業等により、幕府の財政は悪化の一途を辿る。
 
 
 
 田沼意次同様、綱吉への評価も、現在ポジティブなものに変わってきている部分もあります。
 
 まだまだ続く徳川将軍物語。
 
 この続きは、また後程。