「余は、生まれながらの将軍である。」
『葵 徳川三代』徳川家光の言葉です。
♦3代目将軍:徳川家光
春日局と徳川家康のおかげで、将軍になった家光は、法令を整え、政治機構を整備します。
その中で、危険な大名を次々に改易するとともに、鎖国制度を完成させ、大名からも、外国からも、侵略される事のない「徳川政権」を盤石のものとします。
※改易:武士に課された罰であり、身分を平民とし、家禄・屋敷を没収するもの
※家禄:主君が家臣に与える給料
余談ですが、家光は、青年時代、男性にしか興味を示しませんでした。
これを心配した春日局は、少年のような少女を家光に与え、女性への関心をもたせようとします。
この春日局の行動は、成功し、以降、家光は女性に興味を示すようになりました。
「オレに共感性がないことを差し引いても、人の心は矛盾している。」
「誰もが自分をわかってほしいと願いながら、他人からの理解にアレコレと注文をつける。」
「共感は欲しいが、見透かされたくない。応援を求めるが、見下されるのは嫌。同情は優しさだが、憐れむのは無礼。」
「わかり合いたいと言葉では話すが、その実、無数の隠し事をする。なぜだか、わかるか?」
「全てを理解されてしまえば、自分が特別じゃなくなるからだ。」
「人は理解できないものを特別だと思い、度を越えたモノを天才や異常者と呼ぶ。」
「オレの理解は、お前を凡人に変えるんだ。」
『ジャンケットバンク』三角誉の言葉です。
♦4代目将軍:徳川家綱
家光の長男・家綱は、父・家光の死により、僅か11歳で将軍職を継ぎます。
それ故、自ら政務を司る事は出来ず、幕政は、老中を中心とする家臣達による集団協議により運営されていきます。
天守から遠眼鏡で江戸の街を見渡すことをやめたのは、もし自分が遠眼鏡を使っていると知られたら、江戸の民が嫌な思いをするだろうと配慮したためと伝えられている。
多くの案件に「左様せい」とだけ決裁したことから「左様せい様」と呼ばれていた。これは家臣任せにしていたのではなく、幕閣の合議を経て将軍が最終的な決裁を行うスタイルがこの頃に整えられたことを示している。
家綱は、成人してからも病気がちであった為、幕政は、引き続き老中を中心とする家臣達が行っていきます。
その為、彼の言葉等は残されておらず、彼が行った功績等も特にありません。
しかし、上記のような逸話が語り継がれており、言葉よりも、行動や人柄で、理念や政策を示す人物であったのではないかと想像出来ます。
また、家綱は、嫡子に恵まれませんでした。
※嫡子:家の跡継ぎをする子ども
そして、次の将軍は、家綱の弟である綱吉に引き継がれます。
ロジャーが待ってる男は・・少なくともティーチ・・・おめぇじゃねぇ・・。 ロジャーの意思を継ぐものたちがいるように、いずれ・・エースの意志を継ぐ者もあらわれる・・・。 血縁は断てど、あいつらの炎が消えることはねぇ。そうやって遠い昔から、脈脈と受け継がれていった・・。 そして未来、いつの日か、その数百年分の歴史すべて背負ってこの世界に戦いを挑むものがあらわれる・・・
『ONEPIECE』白ひげの言葉です。
♦5代目将軍:徳川綱吉
文治政治への転換と学問の奨励