超戦争時代2ー二千年後の君へ25

 

 

 「始まったばかりだから、危険なんだ。」

 「若さには無限の可能性がある。人は何にだってなれる。こんな妄信を信じるから、何者でもない、大人が増える。

 

ジャンケットバンク】序盤の敵はこのくらいでいい : あにまんch

 

 「人は願ったモノにしか、ならない。でも、誤解しないでくれ。ほとんどの願いは、叶う前にわからなくなる。」

 

  『ジャンケットバンク』眞鍋の言葉です。

 

 

 

 

  ♦敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民を狂気にする

 

 何故、戦争時の日本人は、数多くの犠牲が出る事がわかっているにも関わらず、戦争を喜んだのでしょうか?

 

 日本は、日露戦争の勝利が、綱渡りであり、ロシアとの相対関係による所と運による部分が大きい事を、国民に伝えませんでした。

 国民を、それを知ろうとしませんでした。

 寧ろ、日本の勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを、信仰するようになりました。

 

 この部分においては、日露戦争後の日本人は、民族的に知性が下がっていったと表現出来るでしょう。

 日露戦争を境として、日本人の国民的理性が大きく後退して、狂想の昭和期に入ります。

 やがて、国家と国民が、狂いだして、太平洋戦争を開始し、敗北をするのは、日露戦争から僅か40年の後の事です。

 

 

 

  …降る雪や 明治は遠く なりにけり…

  中村草田男の句です。

 

 明治維新により、日本人は、初めて近代的な「国家」というものを持ちます。

 身分に関係なく、誰もが「日本国民」となりました。

 

 不慣れながらも「国民」になった日本人は、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに高揚しました。

 社会のどのような階層の、どの家の子どもであっても、ある一定の資格を得る為に必要な学力と根気さえあれば、博士にも、官僚にも、軍人にも成り得た。

 これは秀吉等の一定の例外を除けば、日本史上初めての事です。

 

 自分若しくは自分の子どもが、その気にさえなれば、いつでも、博士にも、官僚にも、軍人にもなり得るという点で、日本人は日本史上初めて「未来への権利を保留」する事が出来ました。

 この点が、明治を明るい時代とする要因です。

 

 

 しかも、一定の資格を取得すれば、国家が誕生して間もない時期にあっては、重要な部分を任されます。

 大袈裟に表現すれば、神話の中の神々のような力や、信長・秀吉・家康のような力を持たされて、国家のある部分を作り、拡げていく事が出来る時代でした。

 

 この明るい時代とともに育った少年・青年が、日露戦争という、途方もない大きな仕事に、無我夢中で首を突っ込んでいきます。

 百姓国家が持った滑稽な程に楽天的な男達が、ヨーロッパにおける最も古い大国の1つと、戦う事になるのです。

 それが「日露戦争」です。

 

 

 

 「なんで、君はそんなに教育熱心なの?」

 「‥どうしたんだ急に?そんなの決まってるじゃないか。人間が、自分より若い者を許さないからだ。

 

 「老いも若いもかかわらず、人は生きた時間の長さに、根拠のない価値を見出す。」

 「挙句、自分では出来もしなかった無理難題に、自分がやらされた無駄な苦労を加えて、自分より若い者に押し付ける。」

 

 「授業参観をみてみろ。」

 「あれこそ、この世が煉獄である証拠だ。大人は、自分達を棚に上げて、子供に強要する。他の誰よりも聡明で活発な可愛い存在であることを。」

 「バカが集まり、隣にいるバカより少しでもバカに見えないようバカな見栄を張る。」

 

君たちはどうタヒるか|陰陽師の愛弟子☯️

 

 「そんな地獄から、僕は生徒達を救わなきゃならない。」

 

  『ジャンケットバンク』真経津と眞鍋の会話です。

 

 

 

 

 「私は、諸君の名論卓論よりも、大砲の数に相談しているのだ。」

 伊藤博文の言葉です。

 

 伊藤の故郷、萩に行くと、伊藤があまりリスペクトされていない事に、気付きます。

 萩の人達は、松陰と高杉を、リスペクトしています。

 松陰自身も、門下生である伊藤を、あまり評価しておらず、その為、伊藤も松陰を、あまり慕っていませんでした。

 

 しかし、私は理想ばかりを語らない伊藤の現実的な所が、好きです。

 先の言葉も、伊藤の政治家としての、本質を表しています。

 

 

 日露戦争前、伊藤を始めとする日本政府は、戦争に反対でした。

 しかし、民衆は、戦争に賛成でした。

 新聞も、戦争に賛成の記事を書く方が、売れました。

 このような、国民的気分の中で、日本は「日露戦争」に傾斜していきます。

 

 

 日本政府が立てた「日露戦争」の戦略計画は、綱渡りをするようなものでした。

 つまり、この計画という1本のロープを踏み外しては、勝利する方法がないというものでした。

 

  ★ロシアという大国の初動動作の鈍さを利用し、2つ3つ程度局地戦で勝利する

  ☆ロシアが本気になる前に、アメリカというレフェリーに割って入って貰う

  ★アメリカに間に入って貰い、日本が勝利したという空気感を作り、日本に有利な交渉をする

 

 これが、日本政府が立てた「日露戦争」の計画です。

 

 結果的に、ロシアの国内政治の混乱や軍人同士の腹の探り合い等の、ロシア自身の自滅という形も、手伝い、日本は「日露戦争」に勝利します。

 

 

 戦争は、相対関係です。

 日本の綱渡りのような作戦とロシア自身の自滅により、辛うじて勝利をした事を、日本政府は、国民に伝えたようとしませんでした。

 

 日本が、絶対関係により、勝利したと、日本国民も勝手に信じていきました。

 このような教育の下、育った少年達が「太平洋戦争」を主導し「太平洋戦争」に入る事を喜ぶ国民になっていきました。

 これが、戦争当初、日本が戦争をする事を、日本国民が喜んでいた理由です。

 

 私は、戦争において、最も伝えるべき場所は、ここであると感じています。

 

 

 敗戦が国民に理性を与え、勝利が国民を狂気にする事は、歴史を学んでいると気づく事が出来ます。