「バァカ。おれは一生、神には祈らねェ!!!」
『ONEPIECE』ゾロの言葉です。
♦悪ィが、俺は、神に祈ったことはねェ
「信長包囲網」とともに、信長が「一向一揆」に苦しんだもう1つの理由があります。
それは「一向一揆衆」が、信長や現代を生きる私達日本人とは、大きく異なる世界観を、持っていた事でした。
‥前に進めば極楽浄土。後ろに退けば地獄行き‥
当時の「一向一揆衆」が掲げていた、メッセージです。
「一向一揆衆」は、戦い死ぬ事で、極楽浄土に行く事が出来るという世界観で、戦っていたのです。
言い換えれば、極楽浄土に行く為=死ぬ為に、戦うという事です。
恐ろしいと思いませんか?
これは、現在のテロリスクにも通ずる世界観です。
幸か不幸か、戦国時代に生まれ落ちた天才が、上記のような世界観を持つ人達を、根絶やしにしていきます。
この天才の選択が、数万人の人の命を落とす事になりますが、若しかしたら、後の世で数十万人の命を救う事になったのかもしれません。
信長こそがテロリストと捉える事も出来ますが、視点を変えれば、信長こそが後の日本をテロリストから救った救世主と捉える事も出来ます。
「このまま目を閉じて、死んでしまおうかと思っていたところに、現れたのが、お前を抱いたノジコだった。」
…「妹?」…
…「ううん。」…
…「‥笑ってる‥!!!人の気も知らないでさ‥。」
…「えはは‥!!」…
「死ぬ気力も失せたらしい。」
『ONEPIECE』ナミの物語です。
♦海賊なら、信じるものは、てめェで決めろォ
★江戸時代の一揆→訴える事が目的
☆戦国時代の一揆→相手を倒す事が目的
江戸時代と戦国時代では、一揆の目的が大きく異なりました。
江戸時代の一揆は、年貢を下げさせる等、訴えを通す事が目的でした。
これに対し、戦国時代の一揆は、訴える事ではなく、相手を倒す事が目的でした。
★仏教徒→仏教を信じる
☆武士 →先祖を信じる
さらに、仏教徒と武士では、信じるものが大きく異なりました。
仏教徒は、仏教を信じていました。
これに対し、武士は、先祖を信じていました。
★仏教徒→目に見えないものを信じる
☆武士 →目に見えるものを信じる
このように表現する事も出来るかもしれません。
武士や現代を生きる高齢者等は、仏壇を持っている事が多いです。
しかし、仏壇の中に先祖の遺影を入れている事からも、仏教を信じているというよりも、先祖を信じていると表現する方が適切でしょう。
「やめときな。正義だ悪だと口にするのは!!‥この世のどこを探しても、答えはねェだろ。くだらねェ!!!」
『ONEPIECE』黒ひげの言葉です。
信長は「長島一向一揆」に対し、2度敗北をします。
大きな理由の1つは「信長包囲網」により四方を敵に囲まれ「長島一向一揆」に集中する事が出来ない事が挙げられます。
もう1つの理由は、長島特有の島という地形からの「一向一揆衆」との戦いずらさが挙げられます。
☆陸をおさえても、海から迂回され、ゲリラ戦に持ち込まれる
★船から銃を討っても、足場が安定しない為、銃における戦果が出しにくい
☆大きな船であると、浅瀬に入る事が出来ない
「長島一向一揆」の2度の敗北の中で、信長は、浅井・朝倉を倒します。
これにより、信長は「長島一向一揆」に集中する事が出来るようになりました。
信長が実施したのは「兵糧攻め」でした。
私の中での天才の定義は、新しい事に挑戦をし、その挑戦が後の世において当たり前のように使われるようになる事と定義しています。
★海外との貿易
☆国を守るのではなく、国を拡げ、天下統一を果たす
★銃を戦の中心に置く
信長が、新しい事に挑戦し、後の世に当たり前になった事です。
さらに「兵糧攻め」も、その1つです。
戦わなくして勝つ事が出来る「兵糧攻め」は、後の世で、秀吉・家康が、多様した戦略です。
「兵糧攻め」により、信長は「長島一向一揆」に勝利し「降伏を受け入れる」という約束をします。
しかし、信長は降伏した「長島一句一揆衆」を根絶やしにするという選択をします。
★降伏した一向一揆衆を、銃で殺す
☆降伏した一向一揆衆2万人がいる集落を、焼き払い殺す
戦国時代においても、降伏した敵兵の将は殺すものの、兵士やその国で暮らす人々を殺す事はしないという暗黙の掟がありました。
しかし、信長は、この掟を破ります。
「みっともねェじゃねェか!!!白ひげェ!!!」
「おれは、そんな弱ェ男に敗けたつもりはねェぞ!!!」
『ONEPIECE』クロコダイルの言葉です。
「降伏を認める」と言ったにも関わらず、根絶やしにした信長。
…信長の為に在らず。天下の為に在る…
信長は、その理由を、上記のように書き残しています。
しかし、信長は、その代償を、数年後に払う事になります。
「降伏を認める」と言ったにも関わらず、その約束を反故にした信長に対し「一向一揆衆」が、最後のゲリラ戦を繰り広げます。
このゲリラ戦により、信長は、弟・叔父・長く使えた武将等、家族や側近を7人以上失う事になりました。
これにより、信長を支える者はいるものの、織田家を支える者はいなくなってしまいました。
その結果、織田家の力は信長亡き後、瞬く間に消えてなくなり、秀吉に奪われてしまいます。
「長島一向一揆」において、信長が降伏を認めていれば、天下は秀吉ではなく、信長が亡くなった後も、織田家のものになっていたかもしれません。
さらに、織田家から天下を盗んだ秀吉も子どもが産まれない事により苦しみ、家康に天下を奪われる事も、また歴史の面白い所です。
信長が「一向一揆衆」を根絶やしにする事で、後の世の日本において本気で宗教を信じる人は、殆どいなくなりました。
これを信長の功績とするか否かは、あなたの生き方に、お任せします。