「弱い奴等に気を遣うのは疲れるよ。ホント。」
「弱者生存。それがあるべき社会の姿さ。弱きを助け、強きを挫く。いいかい悟、呪術は非術師を守るためにある。」
「それ正論?俺、正論嫌いなんだよね。」
「‥何?」
「呪術(ちから)に理由とか責任を乗っけんのはさ、それこそ弱者がやることだろ。ポジショントークで気持ち良くなってんじゃねーよ。」
『呪術廻戦』五条と夏油の会話です。
意次を追い出すまでは、治済の思惑通りに動いていた定信でしたが「真面目過ぎる男」である定信は、徐々に治済の思惑通りに動かない存在となっていきます。
大政委任論:将軍は、天皇から委任されているという考え方
定信は「大政委任論」を説き、治済に対し「将軍の父だから、偉いとはならない。家康は天皇から委任され将軍となったから、大御所政治が出来た。」と説きます。
この頃の政治は、実質治済が実権に握っており、将軍になった事もない者が、将軍の父という事で、政治の実権を握っているという不思議なものでした。
定信の主張は、正論であり、理に適っています。
将軍の父であるという理由のみで、元来政治に関わる事すら許されない「御三卿」の治済が、政治の実権を握っている事は、おかしな事です。
しかし、ここが、優秀な人の欠けるべき部分。
人は、正論が嫌いなのです。
「僕‥要先輩に憧れてて‥頭が良くて、野球もうまくて、いつも‥すごいなって思ってます。」
「僕‥清峰先輩みたいな投手(ピッチャー)になって、要先輩に捕って欲しいです。アドバイス頂けませんか!?」
「アドバイスったってなあ。大して言うことないぞ。」
「お‥お願いします。どんなことでもいいので。」
「うーん、そうだなあ、初歩的なところだと‥まずは、痩せよう。話は、そこからだ。アスリートの体型ではない。葉流火のような投手と言ったが、目指す方向を初手で間違えると今後の努力が水の泡だぞ。」
「お前は左利きというアドバンテージがあるから、そこを活かせ。現状そこまでスピードはないから、サイドスローでコントロール重視もいいだろう。あとはー‥」
「アッハイ。ワカリマシタ‥。」
『忘却バッテリー』渡辺と要の中学時代の回想です。
1793年(寛政5年):光格天皇が、父を上皇にするように願い出る
この申出を、老中・定信は、断ります。
定信が断った理由は、光格天皇の父は、1度も天皇になった事がないという理由でした。
これを聞いた治済は、怒ります。
治済は、自分自身を否定されたように感じました。
1度も将軍になった事がないという事・1度も天皇になった事がないという事、将軍の父である事・天皇の父である事、この状況は、まさに治済の立場そのままだったのです。
治済は、政治工作をし、定信を幕府政治から、追い出そうとします。
これに気づいた定信は、自ら辞表を提出します。
定信は、経済の立て直し・ロシアとの交渉等の政治を動かす事が出来るのは自分しかいないという、自分自身への自負から、辞表を出した所で、慰留されると踏んでいました。
そして、慰留されたという事を盾に、老中から大老への出世まで、描いていました。
さて、あなたが、治済であれば、どのような選択をしますか?
…アドバイスは、人を導くために必要なことだ…
…とても大切なことだけど‥一部リスクもはらんでると思う…
「僕は‥本当は褒められたかったんだ。褒めてやったんだから、褒め返せよ。マナーとしてェ。キレすぎて、めちゃくちゃ痩せましたよォ。」
「自分から聞いといて、何言ってんだ。アイツ。」
「人間心理。そんなモンだ。」
『忘却バッテリー』山田の脳内言葉と、渡辺の言葉と、陽ノ本・瀧の言葉です。
治済は、定信を追い出すという選択をします。
治済が選択したのは、日本ではなく、一橋、つまり、自分の贅沢な生活と家族の未来でした。
定信が幕府政治を去り、治済は、思うがままに、幕府政治を動かします。
動かすといっても、治済がやった事は、自らの子である11代将軍・家済に子を多く設けさせ、全国の大名に養子として送り、治済の血を引く者を全国に送る事のみです。
ー徳川吉宗・田沼意次・松平定信ー
この3人は、これまでの幕府政治と異なり、新たな事へ挑戦をした幕府政治を行いました。
治済は、一橋ファーストというだけです。
○○ファーストという言葉は、身内に使われる言葉です。
血縁や家族であると、政治力を発揮する事は出来ません。
○○ファーストとした場合、短期的には現状維持をする事が出来ますが、長期的には現状維持すら出来ない事は、歴史が証明しています。
1800年~1850年。
一橋ファーストが続き、ペリーが来るまでの50年間、日本は動き出していた世界に対し、何の準備もする事をしませんでした。
尊王思想:天皇こそが日本の統治者であり、将軍は天皇に委任されているだけの存在
江戸幕府を倒す事になる、幕末の志士達は「尊王思想」を説き、勢力を拡大していき、終には江戸幕府を倒します。
偶然か必然か「尊王思想」は、かつて定信が説いた「大政委任論」と、重なる部分が大きいです。
江戸時代は退屈な時代であるという認識でしたが、吉宗から意次・定信、そして、治済から幕末へ。
時代を線として捉えた場合、江戸時代は、とても面白い時代でもあります。