障害を理解することは、教えられる。けれど、その正しさを疑うことは、なぜ教えられないのか?
ーー正しさとは、誰も疑わなくなった時に、最も深く誰かを見失うものなのかもしれない。
だから、私は、思う。
みんなが正しいと言うその場所で、誰が泣いているのか、とーー。
ー正しさの恐ろしさは、人を傷つけることではない。傷つけていることに、誰も疑問を持たなくなることだー
正しさは、時に、人を傷つけますーー。
★誰かを、守ろうとする
☆誰かの苦しみを、理解しようとする
★誰かの尊厳を、守ろうとする
ーーそれらは、間違いなく、大切な事です。
けれど、私達は、誰かを守る事に夢中になった時、誰かが傷ついている事を忘れてしまいますーー。
★障害のある人を、尊重する
☆本人の意思を、尊重する
★障害の特性を、理解する
ーー研修で教えられるのは、いつも同じ方向からの景色だけ。それは、20年前も、現在も、変わらない。
教えられていないのは、答えではない。問い、そのものなのかもしれない。
ーー同じことを信じている人が増えるほど、疑問を持つ人は、間違っているように見える。
私が、間違っているのだろうか?
それとも、誰も間違っていないと信じられることが、すでに何かを失っているのだろうか?
正しさは、人を守る。正しさは、人を救う。
それでも、正しさは時に、自分が誰を傷つけているのかさえ、考えなくていい理由になる。
誰も、疑わない。誰も、立ち止まらない。
誰も、自分たちの正しさを、疑う必要を感じていなかった。
だから、私は、問いたい。
みんなが正しい世界で、間違っているのは、本当に疑問を持った人なのか?とーー。
ー理解される、人がいる。その一方で、理解することを強いられる、人がいるー
だから、私は、考えてしまう。
障害のある人が、誰かを傷つけた時は、どうなのだろうか?とーー。
★暴言や暴力を、繰り返す
☆相手の気持ちや尊厳を、踏みにじる
★何度伝えても、同じことを繰り返す
ーーその背景には、障害があるのかもしれない。
感情を抑えることが、難しいのかもしれない。自分の行動を振り返ることが、難しいのかもしれない。
だから、理解しようとする。
だから、受け入れようとする。だから、支援しようとする。
それは、わかる。
それでも、傷つけた理由がわかったところで、傷つけられた人の痛みが、消えるわけではありません。
傷付けた人には、障害がある。
では、傷つけられた人には、何があるのだろうか?ーー
☆家族にも、人生がある
★支援者にも、感情がある
☆誰にだって、限界がある
ーーそれなのに、傷つけた人の苦しみは、理解される。
それなのに、傷つけられた人は、理解することを求められる。
傷つけた人には、配慮が必要だと、説明される。
傷つけられた人には、配慮することが必要だと、説明される。
いつの間にか、一方は守られる人になり、もう一方は耐える人になっている。
私は、そこに強い違和感を、感じ続けている。
しかし、その違和感を言葉にしても、誰も立ち止まらない。
誰も、疑問にすら感じていない。
まるで、そこに疑問を持つこと自体が、間違っているかのように。皆ーー
★正しいことを、話している
☆正しいことを、学んでいる
★正しいことを、実践しようとしている
ーーだからこそ、その正しさの外側に、何が置き去りにされているのかを、考えようとしない。
疑問がないのでは、ないのかもしれない。
疑問を持つ必要すら、感じていないのかもしれない。
ーーこの世界では、間違った答えより、正しい問いの方が、厄介なのかもしれない。
正しさは、恐ろしい。
本当に怖いのは、誰かを傷つける人がいることではない。
誰かが傷ついていると伝えても、その痛みが、正しい話の中に入れてもらえないことだ。
人を守るための正しさが、人の痛みを見えなくしている。
私は、誰もが正しいと信じている場所で、誰かが傷ついている時、間違っているのは、傷つけた人だけではないと、思う。
その痛みをなかったことにしてきた、私たちの正しさにこそ、問題があると、思う。
ー正しさの恐ろしさとは、間違えることではない。誰かの痛みを説明し終えた瞬間、それ以上考えなくてよくなることだー
私は、障害のある人を、守ってはいけないと、言っているのではない。
障害の特性を、理解してはいけないと、言っているのでもない。
寧ろ、理解するべきだと、思うーー。
★なぜ、そのような言動をするのか?
☆何に苦しみ、何を失っているのか?
ーーその背景を、出来るだけ正確に、理解するべきだと思う。
ただ、理解することを、思考の終わりにしてはいけないと、思うーー。
★理解したから、仕方がない
☆障害があるから、仕方がない
★本人には難しいから、仕方がない
ーーこうして、説明が完成する。
しかし、説明が完成しても、問題は残っていると、私は、思っているーー。
★傷ついた人が、そこにいる
☆壊れた関係が、そこにある
ーー疲れ果てた家族も、仕事を続けることが出来なくなった支援者もいる。
説明出来た事と、解決出来た事を、同じにしてはいけないと、私は、思う。
この続きは、また後程。