「ごめんなさい」は、愛された記憶から生まれる
ーー子どもは、いつか大人になる。
けれど、心の1番深い場所にいる子どもは、大人にならないと、私は思う。
傷ついたまま、時間だけが過ぎることがある。
だから謝れない人は、今も昔の出来事に反応している。
目の前の相手ではない。
何十年も前の親の表情に、怯えているのかもしれないーー。
ー「ごめんなさい」は、口から生まれる言葉ではない。幼い日に受け取った安心が、何年もの時を経て、言葉になったものであるー
「謝れない人は、性格が悪い。」
そう言われる事があります。勿論、責任から逃げ続ける人もいます。
しかし私は「謝れない」という心の奥には、もっと長い時間を掛けて、形作られた心の癖があるのではないかと思っています。
その多くは、幼少期に始まります。
子どもは、生まれた時から、謝る事を知っているわけではありません。
「ごめんなさい。」という言葉の意味は、大人との関わりの中で、学んでいきます。
では、子どもは何を学んでいるのでしょうか?
子どもが学んでいるのは、謝る事ではありません。
子どもが学んでいるのは「謝っても自分は受け入れて貰える」という、安心感です。
ーー「ごめんなさい。」は、愛された記憶から生まれる。
幼い頃、転んで泣いた時。失敗して叱られた時。大切な物を壊してしまった時。
子どもは、その出来事を覚えているのではない。
その時、自分がどう扱われたのかを覚えている。
抱きしめられたのか。突き放されたのか。
目を見てもらえたのか。ため息をつかれたのか。
子どもの心は、出来事ではなく、空気を記憶するーー。
ー謝れない人は、過ちから逃げているのではない。幼い日に感じた「失う怖さ」から、今も逃げ続けているのだー
たとえば、お皿を割ってしまった子どもがいます。
その時、親がこう言ったらーー
★「危ないでしょ」
☆「何をやっているの」
★「あなたは、本当にダメな子ね」
ーー子どもは、お皿を割った事以上に「自分自身が否定された」と、感じます。
幼い子どもは「行動が悪かった」と「自分が悪い」を切り分ける力が、まだ十分に育っていません。
だから失敗は「自分という存在が、否定された出来事」として、記憶されるのです。
こうした経験が繰り返されると、子どもの脳は、1つの法則を学びますーー。
★間違えることは、危険
☆失敗すると、愛されなくなる
★謝るということは、自分が責められる入口になる
ーーすると、大人になってからも、無意識に同じ反応が起こります。
指摘される→心が苦しくなる→言い訳が浮かぶ→相手の欠点を探し始める
本人は、意識していません。
脳が、幼い頃と同じように「自分を守れ。」と、命令しているのです。
ーーもし、失敗するたびに、愛が遠ざかる家庭で育ったなら。
「何でそんなことしたの」「困った子」「もう知らない」
そんな言葉が何度も心に降り積もれば、子どもは、1つのことを信じ始める。
間違えた私は、愛されない、と。
その日から「ごめんなさい」は、関係を繋ぐ言葉ではなくなる。
「ごめんなさい」は、自分を失う合図となるーー。
ー人は、愛されたから謝れる。謝ったから、愛されるのではないー
心理学には「安全基地」という考え方があります。
子どもは、安全だと感じられる場所があるからこそーー
☆挑戦できる
★失敗できる
☆自分の非を、認めることができる
ーーその一方「安全基地」を十分に感じられなかった子どもは、失敗そのものよりも「失敗した自分」が、見捨てられる事を恐れます。
だから大人になっても、謝れないのです。
謝らないのではない。謝れない。
彼ら彼女らは、謝った瞬間に、自分という存在が崩れてしまうような恐怖を、抱えているのです。
ーー失敗しても、抱きしめられた子どもがいる。
怒られても、最後には笑ってもらえた子どもがいる。
「悪いことをしたね。」
そう言われても「あなたは、大切な子だよ。」と、最後にはそう結ぶ。
その子は、知っている。
謝っても、愛は消えないことを。
間違えても、自分の居場所はなくならないことを。
だから「ごめんなさい」は、恐怖ではなくなる。
「ごめんなさい」は、人との間に架ける、小さな橋になるーー。
ー心は、傷ついた場所で止まることがある。けれど、愛された場所から、また動き出すこともあるー
ただ幼少期の経験が大きいとはいえ、それが人生を決めるわけではありません。
人は、大人になってからも学び直す事が出来ますーー。
☆間違えても、自分の価値はなくならない
★失敗した自分も、受け入れてもらえる
☆謝ることは、負けることではない
ーーそんな経験を、信頼出来る人との関係の中で少しずつ積み重ねる事で、心の反応は変わっていきます。
ーーだから、子どもに教えるべきなのは「謝りなさい」という言葉ではない。
失敗しても、あなたの価値は変わらない。
間違えても、私はあなたの味方。
愛は、正しさではなく、あなたの存在を抱きしめる。
その安心を、何度も、何度も、手渡すことだ。
いつか、その子が、失敗した時、間違えた時、誰かを傷つけてしまった時。
きっと、静かに言えるだろう。「ごめんなさい」と。
その一言は、その日に覚えた言葉ではない。
幼い頃、無条件に愛された記憶が、何年もの時を超えて、言葉になった瞬間だと、私は思うーー。
ー人は、謝ることを教えられて育つのではない。愛されることで、謝れる人に育っていくー
私は、思います。
謝罪とは、礼儀ではない。技術でもない、と。
幼い頃に刻まれた「人を信じても、大丈夫」という感覚が、大人になって言葉となって現れる姿なのだ、と。
だから「ごめんなさい」が言える人は、強い人ではありません。
「ごめんなさい」が言える人は「失敗しても、自分は見捨てられない」と、信じられる人です。
その安心感を子どもに手渡せる親こそが「謝れる大人」を、育てていく事になります。