ーーケアマネは、サービスを調整することはできる。
デイを増やすことは、できる。
ショートステイを、探すこともできる。
限度額の中で、サービスを組み替えることもできる。
けれど、家族の中で積み重なってきた感情までは、調整できない。
長年、親に言えなかった言葉。
「もう無理かもしれない」という罪悪感。
兄弟間で、積み重なった温度差。
「なぜ自分だけが」という孤独。
介護により、少しずつ失われていく人生への焦りー。
それらは、制度の外側にある。
しかし、人は限界が近づくほど、その区別ができなくなっていくーー。
♦人の痛みを受け止め続けた場所で、自分の痛みだけが置き去りにされる
介護の現場では、ケアマネに対し、制度以上の役割が求められる事があります。
サービス調整ではないーー
★家族の不安・怒り
☆家族の孤独・罪悪感
★家族の関係悪化
ーーこのような家族の中で処理しきれなくなった感情そのものを「何とかしてほしい」という期待です。
しかし、ここには非常に大きな構造的限界があります。
なぜなら、ケアマネが調整出来るのは、あくまで「支援環境」だからですーー。
★デイサービス
☆ショートステイ
★訪問介護
☆訪問看護
★限度額調整
ーーケアマネは、外側の環境を、調整する事は出来ます。
けれど、人の感情は、環境調整だけでは消えませんーー。
★長年積み重なった親子関係
☆親を嫌になってしまう自分への罪悪感
★兄弟間の役割不均衡
☆「なぜ自分ばかりが介護しているのか」という葛藤
ーーこうした感情は、環境調整だけでは、整理出来ません。
ーー本当は、人生の苦しさなのかもしれない。
けれど、その苦しさは、形を変え「介護の問題」という形で、目の前に現れる。
だから、家族は「何とかしてほしい」と言う。
その言葉は介護の話のようでいて、本当は「誰かこの苦しさを終わらせてほしい」という叫びなのかもしれない。
しかし、誰にも、人の人生そのものは救えない。
どれだけ支援を増やしても、消えない感情がある。
どれだけ寄り添っても、埋まらない孤独がある。
それでも、ケアマネは今日も話を聞く。
怒りの奥にある不安を。
責める言葉の裏にある悲鳴を。
「何もしてくれない」の奥にある、助けてを。
けれど、受け取り続けた人から、静かに壊れていく。
誰かの人生の重さを、1人で抱えきれる人など、いないのであるーー。
ー介護が人を壊すのではない。人生の中で抱え続けてきた痛みが、介護をきっかけに溢れ出すのであるー
なぜなら、これは介護の問題ではなく、人生の問題だからです。
しかし、家族が限界に近づいていくと、この境界が曖昧になっていきます。
本来は、人生全体の苦しさであるにも関わらず、それが介護の問題に集中しているように見えるのです。
すると、家族の中では、下記のような変化が起きますーー。
①苦しい
→介護が原因に見える
②介護が苦しい
→サービス不足に見える
③苦しさが消えない
→ケアマネが何もしてくれていないように感じる
ーー人生の苦しさが、支援不足へ変換されていくのです。
もちろん、実際に支援不足のケースもあります。
しかし、ケアマネが本当に難しいのは、支援環境を増やしても消えない苦しさが、存在する事です。
たとえばーー
★デイを増やしても、苦しい
☆ショートを入れても、苦しい
★ヘルパーさんが来てくれても、苦しい
ーーなぜなら、家族が本当に苦しいのは「介護時間」だけではないからです。
★終わりが見えない
☆人生が止まっていく感覚
★家族関係の変化
☆自由を失う感覚
ーーこうした存在レベルの負荷が、蓄積していきます。
しかし、人は、この苦しさを、正確に言葉にする事が出来ません。
だから、最後に「何もしてくれない」になる。
そして、その矛先は、多くの場合、ケアマネに向きます。
ーー支援を増やしても、苦しさだけが残ることがある。
人は、残った苦しさの理由を探す。
そして、介護においては、その理由にケアマネがなりやすい構造がある。
ケアマネは、生活を支えることはできる。
けれど、人の人生に積み重なった痛みそのものを消すことはできない。
それでも、今日もケアマネは、誰かが消せない苦しさの前に立ち続けているーー。
ー介護の現場で最後に集まるのは、解決できなかった問題ではなく、行き場を失った感情なのであるー
ケアマネは、家族の人生そのものを変える事は出来ません。
ケアマネは、支援環境を整える事は出来ます。
しかしーー
★親子関係を、修復すること
☆兄弟間の感情を、整理すること
★人生への絶望を、消すこと
☆罪悪感を、完全に取り除くこと
ーーまでは、出来ない。
それでも、介護の現場では、いつの間にか、ケアマネにその役割まで求められていきます。
なぜなら「誰かに何とかしてほしい」感情だけが、残るからです。
誰にも処理出来なかった感情そのものが、ケアマネへ集まり始めます。
厄介なのは、それを求めているのが、家族だけではない点です。
周囲も、またどこかで期待しているーー。
★ケアマネなら、何とか出来て当たり前
☆もっと、気付けたのではないか
★関係を、調整出来たのではないか
ーーこうして支援環境では解決できない問題まで、少しずつケアマネの責任へと変わっていく。
人の人生の苦しさは、1人の支援者が背負い切れるものではありませんーー。
★長年積み重なった家族関係も
☆人生への後悔も
★孤独も
☆罪悪感も
ーーどれだけ支援を整えても、なお残り続ける感情なのです。
それでも、介護の現場では「誰か」へ責任が集まりやすい。
そして、その「誰か」は、ケアマネになる事が多い。
まるで、家族が抱えきれなくなった感情の終着点として、最後にケアマネが置かれているかのようにーー。
ここに、ケアマネという仕事の、静かで終わりの見えない消耗が存在している。