そして、誰もケアマネをやらなくなった21-支援とは答えを出すことではなく、まだ揺れていられる時間を守ることなのかもしれない2ー


 
 ーー私は「揺れを保つ支援」を大切にしている。


 すぐに、答えを出さないこと。

 ひとつの結論に、収束させないこと。

 生活の中に、別の可能性が残る余白を消さないこと。



 それは時に、遅くて、不確かで、頼りなく見えるかもしれない。

 けれど人の生活は、本来、決まった答えで動いているのではなく、決まらないまま続いていく時間の上に成り立っている。


 だから私は、選択を確定させることよりも、まだ決まらない時間を壊さずに抱える関りでありたいと思っているーー。






  ♦支援は線なのに、記憶は点になる



 ケアマネとは本来、決める人ではなく、揺れを保ちながら生活が壊れない形を探し続ける人ではないでしょうか?

 この視点に立つと、ケアマネという仕事の意味は、少し違って見えてきます。


 その仕事は、答えを早く出す事ではありません。

 寧ろ、答えに急いで収束しようとする力の中で、すぐに閉じない時間を残す事にあります。



 生活は本来、1つの決定で完結するものではありません。

 退院があり、サービス調整があり、家族の感情が揺れ、その中で日常は続いていきます。


 しかし、その連続性は、そのまま家族の認知の連続性にはなりません。






 ーー決めることは、安心に似ている。

 けれど安心は、時に思考を終わらせてしまう。


 揺れている間、人はまだ途中にいる。

 どこへも固定されていないまま、それでも生活だけは、静かに続いていく。




 支援とは、地図を渡すことではない。

 支援とは、まだ地図にならない時間に付き添うことだと思う。


 だが、その時間は、いつも急かされる。

 早く、はっきり、間違いのない方向へと。


 曖昧さは、不安として扱われる。

 未決定は、問題として扱われるーー。





 

  ー本当に生活を支えていた時間ほど、音を立てない。だから人は、静かに守られていた日々を後から思い出せないー



 生活を支える支援は、本来一本の流れとして存在しています。

 しかし、家族の中では、それは点として記憶されますーー。



   ★あの時、助けてくれた人

   ☆あの時、提案してくれた人

   ★あの時、すぐに動いてくれた人



 ーー生活を支える支援は時間の中で連続していても、記憶は感情の強度で分断されるのです。


 その結果、静かに続いていた生活を支える支援よりも、一瞬の対応の方が強く意味を持つ事があります。






  ー本来並んでいるはずの情報は、感情の中で、上下に変換されていくー



 さらに、日本の対人関係では、意見はしばしば「情報」ではなく「態度」として受け取られます。

 違う提案をする事は、別の選択肢の提示ではなく「否定された」という感覚に繋がる事があります。


 その為ーー


   ★提案すること=押し付け

   ☆違う意見=否定

   ★説明する=評価の変更


 ーー等と、受け取られやすいです。


 本来は並列であるはずの「情報」が、関係性の中で上下に変換されてしまうのです。







  ー日本では、言葉は平等に並ばない。同じ内容でも立場によって、助言にも押し付けにも変わってしまうー



 この構造をさらに複雑にしているのが、権威の差です。


 医師の言葉は、短くても「診断」として受け取られます。

 これに対し、ケアマネは調整役でありながら、最終決定権を持ちません。


 その為ーー


   ★強く言えば、押し付け

   ☆弱く言えば、頼りない

   ★短く言えば、丁寧でない


 ーーという評価の中に置かれます。


 同じ事を伝えたとしても「権威主義」「上下関係」がいまだに色濃く残る日本においては、重みが変わり、批判をされる・批判をされないにも変わってきます。







 ーーだから、人は決める。

 関係を壊さないために、揺れを終わらせるために。

 まだ言葉にならないものを、ひとつの形に押し込めるようにして。


 けれど押し込められたものは、消えるわけではない。

 ただ、見えない場所に移るだけだ。




 ケアマネは、その見えない場所に、近いところにいる。

 誰かが決めた後も、決める前も、その間に残ってしまうものを見ている。


 評価されるのは決まった結果であり、記録になるのも形になった選択である。

 しかし実際に生活を支えているのは、その前後に横たわるも名もない時間だーー。







  ー人は、決まったことに安心しようとする。けれど生活は、決まった後も終わらずに続いていくー



 ではなぜ、このようなズレが生じるのでしょうか?

 それは日本社会において「揺れ」が、未完成として扱われるからですーー。



   ★決まっていることは、安心

   ☆決まっていないことは、不安



 ーーとして認識されます。



 この為、人は無意識に、早く「揺れ」を終わらせようとします。

 しかし、現実の生活とは、決定により終わるものではありません。


 現実の生活とは、決定の後も続いていくもの。

 寧ろ、本質は決定の後にあるものです。






  
  ー本当に生活を支えているのは、いつも何も起きていない時間の中にあるー



 この構造の中で、ケアマネは、特殊な位置に置かれますーー。


   ☆揺れを扱う仕事でありながらーー

   ★揺れを早く収束させることを期待される



   ☆支援の調整役でありながらーー

   ★感情の受け皿になることを期待される




 さらにーー


   ☆問題が起きていない間は見えずーー

   ★問題が起きた瞬間に責任が集中する


 ーー上手くいっている事は可視化されず、崩れた瞬間だけが可視化されるのです。






 ーー揺れを保つということは、すぐに意味へと回収される時間を、意味になる前の形のまま、失わせないことだ。


 それは、誰にも気づかれないかもしれない。

 けれど、生活が生活であり続けるために必要な、静かで見えにくい仕事なのだと思うーー。