♦夫婦の余白が、子どもの人生になる
私は、子どもの成長を左右するものは「親の正しさ」ではなく「親の余白」であると考えています。
ここでいう余白とは、時間や気力の事ではありません。怒らない事でもありません。
余白とは「自分が揺れても、安心して戻ってこられる心の居場所」ですーー。
☆不安になったとしても
★腹が立ったとしても
☆焦ったとしても
ーーその感情を子どもへ返さず、1度自分の中で抱えられる力。
これが余白です。
ーー転んだ子どもは、痛みより先に、親の顔を見る。
そこに焦りがあれば、子どもは、親の顔色を見て育つ。
そこに安心があれば、子どもは、自分の心を見て育つ。
子どもは、親の安心を借りながら、少しずつ自分の安心を育てていくーー。
ー親の余白とは、子どもの今日を守るだけではない。子どもが大人になっても帰ってこられる心の場所を育てるものであるー
余白は、子どもに対して、説明して身に付くものではありません。
余白は、親の背中から、毎日少しずつ受け取っていくものですーー。
☆失敗しても、大丈夫
★意見が違っても、関係は壊れない
☆安心して、戻ってこられる場所がある
ーーそんな家庭で育った子どもは、自分が受け取った余白を、今度は自分の子どもへ渡していきます。
だから、余白は世代を超えて受け継がれていくのです。
ーー子どもは、夫婦の会話を覚えていない。
でも、夫婦の空気は、覚えている。
黙っていても、伝わるもの。笑っていても、隠せないもの。
家には、言葉よりも先に、流れるものがある。
その空気が、子どもの「世界の前提」になる。
だから、夫婦が戻ってこられる関係であることは、子どもに「関係は壊さないものではなく、育て直せる」ことであるという、世界の前提を贈ることになるーー
ー夫婦の今日の関係は、子どもの明日の世界になるー
子どもが見ているのは、親の言葉ではありません。
子どもが見ているのは、親の在り方です。
余白のある家庭ではーー
☆親がすぐに怒鳴らない
★話し合いができる
☆感情が出ても、最後には回収される
ーーそして、その裏ではーー
☆夫婦がぶつかっても、すぐ戻れる
★子どもが、夫婦の仲裁役にならない
☆親の不安を、子どもに背負わせない
ーーそんな毎日が、繰り返されています。
この積み重ねにより、子どもの中には、1つの世界の前提が育ちます。
「関係は、壊れないものではない。戻れるものだ。」
この世界の前提を持った人は、人生で何度つまづいても、人を信じ、自分を信じて、もう1度歩き出す事が出来ます。
ー人は世界を見て、生きているのではない。幼い頃に心に刻まれた「世界の前提」を生きているー
人は、考え方で生きているのではありません。
人は、無意識の「世界の前提」で生きています。
私は、その無意識の世界の前提の事を「人生のOS」と呼んでいます。
ここでいうOSとは「世界は安全か、危険か」「人は信じられるか、それとも信じられないのか」を、言葉になる前から決めている、心の基本設定です。
余白のある家庭で育つと、OSは自然とこうなりますーー。
☆子どもの混乱は、成長の途中である
★親の感情と、子どもの感情は別物
☆失敗は、関係を深める機会である
ーーだから子どもが揺れても、親が崩れる事はありません。
余白のある親は「何をするか」よりも「そこにいること」そのものが支援になるのです。
ーー子どもは、親の言葉を忘れる。
けれど、親、否「パパ」「ママ」の夫婦関係は、忘れない。
嬉しい時に、どう笑っていたのか。
苦しい時に、どう支え合っていたのか。
ぶつかった後、どう戻っていったのか。
その記憶は大人になってから、恋人との関係になり、夫婦関係になり、親子関係になり、静かに姿を現す。
だから夫婦は、今だけを生きているのではない。
二人の今日が、子どもの二十年後、三十年後の家族の形を作っているーー。
ー夫婦が育ててきた余白は、やがて子どもの人生になり、その人生は、また次の世代の「帰ってこられる場所」になるー
ここからが本当に伝えたい所。
親の余白は、1人の努力だけでは続きませんーー。
★誰でも、揺れる
☆誰でも、疲れる
★誰でも、逃げたくなる
ーーだからこそ、必要なのがパートナーです。
夫婦がお互いの余白を守り合える家庭では、その余白が、子どもへ受け継がれていきます。
子どもは、親の言葉よりも、夫婦が「戻ってこられる関係」である事を見ています。
その姿を見て育った子どもは、いつか自分が親になった時、また次の世代へ、その余白を手渡していきます。
親の余白とは、子どもをコントロールする力でもありません。
子どもを、怒らない事でもありません。
親の余白とは、子どもが安心して、自分の人生を歩いて行ける土台を育てる力です。
そして、その余白は、親から子へ。
子から、またその子へ。
静かに、世代を超えて、受け継がれていきます。