ーー鬼子母神は、元々祈られる存在ではなかった。
奪う側にいた。
泣き声の向こう側で、命を喰らう者だった。
満たされない気持ち。
失うことへの怯え。
抱えきれないほどの、守りたいもの。
鬼子母神は、それらを抱えたまま、世界に手を伸ばしたーー。
♦人は、揺れながら生きる。鬼子母神とは、その揺れの名前である
鬼子母神(きしもじん)は、インド由来の神であり、現在の日本では「子どもを守る神様」「安産・子育ての守護神」として信仰されています。
意外ですが、鬼子母神は、元々「奪う存在」でした。
鬼子母神は「奪う存在」から「守る存在」に変わった神なのです。
ーー彼女は、母であった。
守りたかった。
失いたくなかった。
ただ、その願いがあまりに強すぎただけだったーー。
ーその手は、かつて奪う為に伸ばされていた。今は、壊さぬようにそっと開かれているー
鬼子母神は、仏教に登場する女性の鬼神です。
鬼子母神はーー
★子どもを、500人持っていた
☆500人の子どもを養う為に、毎日子どもを1人さらい食べていた
ーーこれに対し、釈迦(しゃか)が、ある行動を起こします。
釈迦は、鬼子母神の子どもを1人隠します。
すると、鬼子母神はひどく激しく苦しみました。
鬼子母神は、ここで初めて「子どもを失う親の気持ち」を理解します。
釈迦は、鬼子母神に「子どもを失った親は皆同じ気持ちになっている」事を説きます。
この体験により、鬼子母神は改心し、子どもを守る神へと変わったとされています。
ーーある日、1つの喪失が訪れる。
それは、罰ではなく、鏡であった。
他者の痛みが、初めて自分の胸に落ちる瞬間。
その時、初めて彼女は知る。
どの命も、同じ重さで震えていたことを。
どの親も、同じ苦しさの中で夜を超えていたことをーー。
ー抱きしめる腕は、同時に、遠ざける形をしているー
鬼子母神を3層構造で見ると、これは「神話」ではなく「人間」の内側で起きる変化そのものであると理解が出来ます。
①本能の層:捕食と所有
鬼子母神は、元々人間を食べる存在でした。
これは単なる残酷さではなく、人間の根本的な本能を象徴しています。
☆自分の子は、守る
★他人の子は、犠牲にできる
人間の内と外を分ける本能です。
これは、現代でも同じではないでしょうか?
☆自分の家族は、大切
★他人には、冷たくなる
鬼子母神は、この選別する愛の極端な形を現しています。
ーーある日、それは壊れるためではなく、始まるために訪れる。
手の中にあったものが、静かに消える。
叫びではなく、沈黙として奪われていく。
その沈黙の中で、初めて「他者」という輪郭が浮かび上がる。
それまで、世界は自分の延長でしかなかった。
喪失とは、痛みというよりも、遅れてやってくる理解である。
奪ったことの意味ではなく、奪われたことの意味が、遅れてこちらにやってくるーー。
ー世界は、説かれて変わるものではない。ひとつ失われた後に、静かに反転するのであるー
②転換の層:共感の強制
釈迦が鬼子母神にやった事は、説教ではありません。
釈迦は、鬼子母神に体験をさせます。
鬼子母神は、自分の子どもを失う事で初めて、他人の痛みが自分事になります。
ここが、大切な所。
人はーー
★理屈では変わらない
☆感情の臨界点で変わる
ーー鬼子母神の転換は、認知ではなく、感情の再構築なのです。
ーー鬼子母神は、社会の設計図の中で、極端な位置に立っていた。
守るという行為が、排除と同じ速度で進んでしまう場所に。
私達に、変化が起きた後も、社会に引かれる線は、消えない。
ただ、引き方が変わる。
かつては、切断だったものが、距離になる。
かつては、外だったものが、まだ知らない場所になる。
社会は完全には、癒えない。
ただ、形を変えて、維持される。
その中で、守るという行為だけが、静かに残る。
必要なのは、いつでも線を引き直すことができるということであるーー。
ー線は、消えない。ただ、誰を中に入れるかだけが変わり続けるー
③社会の層:役割の再定義
改心後の鬼子母神は、子どもを守る神になります。
ここで起きているのは、単なる改心ではありません。
ここで起きているのは、役割の再配置です。
☆破壊する力→守る力へ
★捕食する存在→育てる存在へ
社会とは、危険な力を排除せず、役割を変えて取り込む事で、進歩していくのです。
守るという事は、きれいな事ではありません。
きれいでなくても、続けられてしまう事が「守る」という事です。
だからこそ、人は揺れながら生きていきます。
「守る」為に、時に他者を攻撃し、時に傷つきながら。
鬼子母神とは、その「揺れ」の名前なのかもしれません。
善でも悪でもなく、始まりでも終わりでもなく。
ただ、変わり続ける事。そのものとして。