装い、離れ、そして、日常を守る

 

 

 

 ーー日常は、静かにすり減っていく。

 

 音もなく、形もなく、ただ少しずつ。

 

 

 誰かのために選び、誰かのために動き、気付けば「自分」は後ろに置かれていく。

 

 そんな日々の中で、ふと装う。

 

 

 服を選び、鏡の前で整え、誰かの役割ではない自分を、そっと引き戻す。

 

 それは、置き去りにした自分を迎えに行くことーー。

 

 

 

 

 

  ♦少しの非日常と、ひとつの装いで、日常は保たれる

 

 

 

 昨日、サンシャインプリンスホテルにて開催されている『チェンソーマン』コラボレーション・レストランに行ってきました。

 

 

 私は、日常を守る為に、非日常を意図的に入れる事が、人生という長期戦を戦う為に、必要な戦略であると考えています。

 

 

 サンシャインプリンスホテルの光に身を置き『チェンソーマン』の世界に触れ、少しだけ現実から距離を取る。

 

 これは、現実から逃げる為ではありません。

 

 

 

 現実に戻ってくる為の、一歩です。

 

 日常を守るとは、ただ耐え続ける事ではありません。

 

 

 日常を守るとは、日常の外側に出る事を意図的に設計していく事です。

 

 そして、少しだけ余白を持ち、もう1度同じ場所に立つ事を言います。

 

 

 

 

 

 ーー服を選ぶということは、今日の自分を選び直すこと。

 

 

 鏡に映る姿は、役割に追われていた自分ではなく、どう在りたいかを思い出した自分。

 

 その僅かなズレが、心に余白を作る。

 

 

 非日常の中で笑い、同じものを見て、同じ時間を共有する。

 

 その時私達は、何かを達成しているわけでも、何かに追われているわけでもない。

 

 

 ただ、ここにいることを許されている。

 

 否、ただ、ここにいる自分を許しているーー。

 

 

 

 

 

  ー気付かないままに、自分を少しずつ差し出しながら成立しているもの。それが日常であるー

 

 

 

 日常を守る為に、非日常を取り入れる。

 

 これはご褒美というような話ではなく、それがないと、日常は静かに崩れていくという話です。

 

 

 まず、前提として、日常とは、放っておけば続くものではありません。

 

 日常は、見えないコストを払い続ける事で維持されている構造になっているのです。

 

 

 

 

 厄介なのは、日常のコストは、見えない形で支払われる事です。

 

 

 

  ①注意力のコスト:常に気を配る状態(子ども・仕事・周囲等)

 

   →脳は、休まらない

 

 

  ②感情のコスト:イライラを抑える・空気を読む・気を遣う

 

   →本音を調整し続ける

 

 

  ③役割のコスト:親・配偶者・社会人として期待に応える

 

   →自分より役割が優先される

 

 

 

 日常は、時間ではなく、自分のリソースを削りながら成立しているのです。

 

 

 

 

 

 

 ーー日常は、勝手に続いているわけではない。

 

 

 見えない所で、少しずつ何かを差し出しながら、かろうじて形を保っている。

 

 気を配り、感情を整え、役割に自分を合わせていく度に、ほんの少しずつ何かが削られていく。

 

 

 それでも、日常は続く。

 

 何も変わらない顔をして。

 

 

 けれど、ある日、ふと気づく。

 

 余裕が消え、言葉が硬くなり、大切なはずのものに優しくできなくなっていることに。

 

 

 それは、弱さじゃない。

 

 ただ、払い続けたものが、限界に触れただけーー。

 

 

 

 

 

  ー何も起きない日々は、壊れた時に、その価値を語り出すー

 

 

 

 日常は、壊れる時に初めて「維持されていた」と気付きます。

 

 

   ★会話が減る

 

   ☆余裕がなくなる

 

   ★些細な事で衝突する

 

 

 これは突然起こったものではなく、コストの未払いが積み重なった結果なのです。

 

 

 

 

 ここで、非日常の役割が出てきます。

 

 サンシャインプリンスホテルのような空間や『チェンソーマン』のような好きに触れる体験は、単なる気分転換ではありません。

 

 

  ①時間の質を変える

 

   →「こなす時間」から「味わう時間」へ

 

 

  ②自分の輪郭を取り戻す

 

   →役割(親・妻・仕事)ではなく「個」として存在

 

 

  ③感情を再起動する

 

   →楽しい・嬉しい・美しいといった感情が戻る

 

 

 

 重要なのは、ここから。

 

 非日常はその瞬間の為ではなく、その後の日常の質を変える為に、存在するのです。

 

 

 

 

 

 ーーサンシャインプリンスホテルの光の中で『チェンソーマン』の世界に触れながら、笑い合い、ほどけていく時間。

 

 

 装った自分が、そこにいる時、人は思い出す。

 

 大切にされる側であることも、楽しんでいい存在であることも。

 

 

 その感覚が、静かに心を満たしていく。

 

 やがてまた日常へ戻る。同じ景色、同じ役割。

 

 

 けれど、ほんの少し姿勢が変わっている。

 

 ほんの少し言葉が柔らかくなっている。

 

 

 日常を守るとは、削れないことではない。

 

 日常を守るとは、時々世界をずらし、自分の輪郭を整え直すことーー。

 

 

 

 

  ー非日常の価値は、帰った後に現れるー

 

 

 

 非日常はその瞬間の為ではなく、その後の日常の質を変える為に、存在するのです。

 

 

   ☆少し余裕を持って、子どもに接する

 

   ★パートナーに優しくできる

 

   ☆仕事の判断が丁寧になる

 

 

 こうした小さな違いが積み重なり、日常は安定します。

 

 

 

 さらに、非日常は「記憶のアンカー」になります。

 

 人は辛い時、無意識に「良かった時間」に戻ろうとします。

 

 

 

   ☆あの時、楽しかった

 

   ★また、行きたい

 

   ☆自分は、大切にされている

 

 

 

 この記憶があるだけで、今のしんどさを耐えられます。

 

 特に、子どもにとっては、これが人生を支える土台になります。

 

 

 

 日常とは、自然に続くものではありません。

 

 日常は、消耗と回復のバランスで成り立つ構造になっています。

 

 

 だからこそ、日常を維持する為には頑張る事ではなく、回復を意図的に組み込む事が、必要なのです。