価値と対価が重なる場所では、変化は喪失になるーインターナショナル保育園編ー

 

 

 

 ーー帰りの迎えのドアの前で、少しだけ長く続いていた会話があった。

 

 

 子どもの今日の様子、小さな出来事、お互いの好きな事。

 

 名前のない安心が、その数分の間に、静かに積もっていた。

 

 

 けれど4月になると、そこに新しい声が入ってくる。

 

 先生の時間は分かたれ、言葉は途中で別の方向へ流れていくーー。

 

 

 

 

 

  ♦ひとつだった余白が分かたれた時、人は、それを喪失と呼んでしまう

 

 

 

 4月になると、関係は、静かに組み替えられます。

 

 昨日まで隣にいた人が、別の場所へ移り、隣には新しい誰かが来ます。

 

 

 変わったのは人だけのはずなのに、空気は、少し違って感じられます。

 

 これまで自然に続いていた会話の流れが、ふと途切れる瞬間が増えます。

 

 

 

 そこに悪意がない事は、理解しています。

 

 ただ、世界の構造が変わった事も、理解しています。

 

 

 でも、人の心は、その変化を、構造として受け取る事が出来ません。

 

 人の心は「関係が変わった」のではなく「関係が取られた」ように感じます。

 

 

 

 大切にしていた場所に、他の誰かが入ってくる。

 

 それは単なる出来事ではなく、静かな揺れとなって、心に残り続けます。

 

 

 

 

 

 

 ーー何かが失われたわけではないのに、確かに、手のひらの温度だけが少し変わる事に気付く。

 

 

 ここは多様性の園。

 

 ひとりひとりが、尊重されるという、やわらかな約束の場所。

 

 

 だからこそ、多様性という光の中で、人は、少しだけ陰に敏感になる。

 

 誰かが入る度に、自分の輪郭が、薄くなる気がしてしまうーー。

 

 

 

 

 

  ー関係の質が価値である場所ほど、その僅かな揺らぎは、深い喪失として響くー

 

 

 インターナショナル保育園はーー

 

 

   ☆多様性

 

   ★個別尊重

 

   ☆自己表現・自己肯定感

 

 

 ーー等を、強く価値として持っています。

 

 

 つまり、本質は「1人1人を丁寧に扱う事が価値」であるという世界観です。

 

 ここで重要なのは、これは単なる教育方針ではなく、関係の質そのものを価値化しているという点です。

 

 

 

 

 この環境にいるとーー

 

 

   ☆うちの子はちゃんと見て貰えているはず

 

   ★親も個別に丁寧に扱われるはず

 

   ☆先生との会話も集団関係ではなく個別関係

 

 

 ーー等という期待が、無意識のうちに、親に形成されます。

 

 

 インターナショナル保育園に子どもを通わせる親は「量に期待」しているのではなく「質に期待」しているのです。

 

 

 

 

 

 ーー以前そこにあった「自分たちだけの余白」は、消えたのではなく、分け合うものへの姿を変えただけなのに。

 

 

 それでも、心は、静かに小さく、つぶやく。

 

 あの時間は、どこへ行ってしまったのだろう、とーー。

 

 

 

 

 

  ーただの出来事も、価値観を通した時、静かに失われたものへと変わっていくー

 

 

 インターナショナル保育園では、普通の保育園よりもーー

 

 

   ☆個別性

 

   ★対話性

 

   ☆丁寧さ

 

 

 ーー等が、標準期待値として上がっています。

 

 

 

 その為、少しの変化でも、下記のように感じます。

 

 

 

   普通の保育園→忙しいんだな:構造として理解

 

   インター→丁寧さが減った:価値の変化として解釈

 

 

 

 インターナショナル保育園では、出来事の解釈が、価値観ベースになります。

 

 

 

 また、インターナショナル保育園は、普通の保育園と比較し、高額な料金を支払っています。

 

 お金は対価というよりも「丁寧さの保証契約」のように、心理的に機能する一面もあります。

 

 

 お金が、期待値そのものを設計する要素にもなっているのです。

 

 

 

 

 

 

 ーーここは、多様性を大切にする園。

 

 ひとりひとりの違いを尊び、その違いに、丁寧なまなざしを注ぐ場所。

 

 

 だからこそ、その丁寧さは、いつも私達の為に待機している。

 

 けれど、4月になると、その静かな均衡に、小さな揺れが生まれる。

 

 

 新しく来た親の不安と、新しく始まる関係の輪郭。

 

 先生の言葉はそこへと向かい、これまでそこにあった時間は、少しずつ形を変えるーー。

 

 

 

 

 

 

  ー丁寧さを価値とする場所では、時間の分配さえ、価値の分配に見えてしまうー

 

 

 

 親の、認知は、下記のように進みます。

 

 

 

   ①以前:丁寧に話せてた:安心

 

   ②今:話す時間が減った:事実

 

   ③脳の解釈:丁寧さが減った:意味づけ

 

   ④感情:大事にされていない気がする

 

 

 

 親の認知では、インターナショナル保育園側の「時間の分配変化」「関係の質の変化」に感じれるのです。

 

 

 

 

 

 ーーそれは、優しさが減ったわけではない。

 

 寧ろ、優しさが増えた結果として起きる分散。

 

 

 けれど人は、その分散を理解するより前に、空白として感じてしまう。

 

 昨日までそこにあった「少しの余白」が、もう戻ってこないように感じてしまう。

 

 

 

 多様性とは、本来広がりであるはずなのに、受け取る側の心の中には、時に距離として立ち上がる。

 

 そして、その距離に、名前のない違和感だけが、静かに残り続けるーー。

 

 

 

 

  ー「そんなものか」で済むはずの変化も、価値と対価が重なる場所では、静かな喪失に変わるー

 

 

   普通の保育園→元々「効率的運営」前提

 

   インター保育園→元々「丁寧な関係」前提

 

 

   普通の保育園→安いお金で通っている

 

   インター保育園→高いお金で通っている

 

 

 

 だからこそーー

 

 インターナショナル保育園に子どもを通わせる親の中では、微小な変化が、意味的に大きくなります。

 

 

 

 

 

 いつでも手に入ったものが、少しだけ遠くなった時、人は、その大切さに気付きます。

 

 だからこそ、限られたその一瞬に、以前よりも確かな意味が宿るのです。