子どもは、親の背中から、世界を学ぶー親の仕事に同行する意味ー
ーー子どもが、親の仕事に同行する日。
その日、子どもは、仕事を学ぶのではない。
大人になるということは、誰かの期待を背負う人になるのではなく、誰かの希望を背負える人になること。
まだ言葉にはならないが、子どもは、心の奥にしまっていく。
きっと、その記憶は、忘れてしまうだろう。
一緒に経験した景色も、会話も、帰り道も。
けれど、あの日、心に落ちた1つの景色は、名前もつかないまま、子どもの人生を、少しずつ形作っていく。
人は、覚えている記憶よりも、覚えていない記憶により、人生を作っていくのだからーー。
ー子どもが受け取るのは、親の仕事ではない。その仕事を通して見える、人生への向き合い方であるー
子どもは、親の仕事を見ているのではありません。
親が、この世界と、どう向き合っているのかを見ています。
人は、生まれた瞬間から、社会を知っているわけではありませんーー。
☆世界とは、何か
★人とは、何か
☆働くとは、何か
ーーその全てを、誰かの背中から、学んでいきます。
最初に見る背中は、親の背中です。
子どもが、親の仕事に同行する意味は、仕事を覚える事ではありません。
職業を、知る事でもありません。もっと、根源的なものに触れる為です。
「人は、なぜ働くのか?」ーー
☆生活のため
★お金のため
ーー勿論、生活の為、お金の為に、人は働きます。
けれど、子どもの心に残るのは、そこではありませんーー。
☆誰かの涙を受け止める、静かなまなざし
★誰にも気づかれない場所で、誰かを支える手
☆何も語らず、それでも今日を生き抜く背中
ーー子どもは、その姿を見ながら、世界の輪郭を少しずつ、覚えていきます。
ーー誰かの人生に、寄り添う時間。誰かの不安を、安心へ変える行動。
自分の役割を、引き受ける覚悟。
子どもは、それを「仕事」と、呼ばない。
「大人」と、呼ぶ。
やがて時は流れ、子どももまた、大人になる。
誰かを愛し、誰かを守り、何かを失い、それでも朝になれば、また歩き出す。
その時、不思議なことが起こる。
幼い日に見た親の背中が、自分の背中の中に、生きていることに気付く。
人は、教えられた言葉で、生きていくわけではない。
見届けた生き方によって、生きていくーー。
ー子どもは、親の背中を追いかけるのではない。いつか自分の背中の中に、その姿を見つけるのであるー
生き方とは、日々の選択の、積み重ねです。
そして仕事とは、日々の選択の積み重ねが、最も表れる場所でもあります。
親は、子どもに、仕事を受け継がせる必要はありません。
けれど、親の生き方は、必ず子どもに、受け継がれますーー。
★世界は、奪い合う場所なのか
☆それとも、支え合う場所なのか
★人は、利用し合う存在なのか
☆それとも、助け合える存在なのか
★仕事とは、ただ時間を差し出すものなのか
☆それとも、自分の経験や想いを誰かの人生へ届けることなのか
ーーこの問いは、教室では教えられません。
この問いの答えは、親の背中だけが、静かに教えてくれるものです。
ーー親は、未来を語らなくていい。
未来は、今日の背中が、語っている。
子どもは、その背中を、覚えている。
忘れたように見えても、人生という長い旅路の途中で、何度でも、その背中へ帰ってくる。
だから親の仕事に同行する1日は、1日の思い出では終わらない。
それは何十年後の人生を、静かに支え続ける、1つの記憶となるーー。
ー幼い日に見た親の背中は、その子が人生で出逢う最初の世界である。そして、その世界は何十年後も、その子の中で生き続けるー
だから親は、仕事を見せているのではありません。
仕事を通して、何を大切にして生きているのかを、見せているのです。
そして子どもは、仕事を覚えるのではありません。
「どんな、大人になりたいのか」という問いを、自分の中に、育てていくのです。
人は、自分が見た世界しか信じられないもの。
だから幼い頃に見た親の背中は、その子の人生における「世界の原型」になります。
親は、子どもに人生そのものを、手渡す事は出来ません。
肩書きも、財産も、いつかは時代の中へ消えていきます。
それでも、1つだけ残るものがあります。
それは「世界を、どう見るのか」という眼差し。
子どもが、親の仕事に同行する意味。
それは、職業体験ではありません。
それは、1人の人間が、完璧ではない世界の中で、それでも誰かを信じ、誰かの為に生きようとする姿を、未来へ渡していく時間なのです。