正しいという正義
自らのことを正しいという意思を持つことは一長一短です。
その思いを持たなければ、行動することも、夢を抱くこともできません。
しかし、その意思が強すぎるあまり、その意思を疑う視点がないことは怖いことです。
正しいということが正義のようになってしまうと、その意思が暴走してしまいます。
その例は、歴史を振り返ればいくらでもあります。
たとえば、江戸幕府を開き、200年の天下泰平を築いた徳川家康然りです。
家康は、秀吉との約束を無為にし、大阪冬・夏の陣で秀吉の息子、豊臣秀頼を討ちました。
そこまでは、戦国の動乱であれば、当然のことと捉えられるかもしれません。
しかし、家康は大阪冬・夏の陣の後、わずか8歳の秀頼の息子を斬首にしました。
その行為の背景には、家康の正義がありました。
家康にとっては、豊臣の血を途絶えることが戦国時代を終わらせ、天下泰平の世を作る譲れない条件でした。
「徹底した正義」とは恐ろしいものです。
自分のことを正しいと思うことは、必要なことです。
ただ、そのなかで、常に自分に問いかけることが必要だと思います。