発見の真の航海とは、新しい風景を探すことではなく、新しい目を持つことであるー岩手2、まだ知らない未来に、今日の景色を預けるー
ーー君が今日見た景色を、君は、きっと覚えていない。
平安の街も、金色に輝く場所も、遠い昔の英雄が最期に見た景色も。
けれど、覚えていないことと、残っていないことは、同じではない。
今日、君の小さな足が、遠い昔、誰かが歩いた場所を歩いた。
何百年も前の時間と、君の今日が、ほんの一瞬だけ重なったーー。
ー今日の景色は、今日のためだけにあるのではない。いつかの君が、意味を見つける日のためにあるー
親が出来るのは、子どもが自分の人生を歩き始める時に、少しでも多くの「見たことがある世界」を、持たせておく事なのだと思いますーー。
☆知らない場所に、行ったことがある
★自分とは、違う文化に出逢ったことがある
☆自分とは、違う時代を感じたことがある
ーーその1つ1つが、人生の中の「基準」と、なりますーー。
☆東京だけが、世界ではない
★自分の考えだけが、正解ではない
☆今だけが、時間ではない
ーーそういう事を、頭ではなく、身体で知っておく。
これこそが、旅の醍醐味です。
子どもの頃の私は、今ほど世界を知りませんでしたーー。
☆どこに、何があるのかも知らない
★そこに、どんな歴史があるのかも知らない
ーーただ、親に連れられて、知らない場所に行きました。
その時には、それが何を意味するのかなんて、考えてもいませんでした。
けれど、大人になった今振り返ると「あの場所に、行った事がある。」という記憶が、思いがけない所で蘇る事があります。
若しかすると、子どもに残る記憶というのは、その瞬間に残るものではないのかもしれない。
時間が経ってからーー
☆何かを、知った時
★何かを、失った時
☆何かを、好きになった時
ーーその時になって初めて、昔見た景色に、意味が生まれる。
だから、子どもの記憶とは、不思議です。
覚えていると思っていた事を忘れて、忘れていたと思っていた景色が、何十年後かに突然目の前に現れる。
それは、記憶が消えていたのではなく、まだ出番を待っていただけなのかもしれない。
ーー今日、君の小さな足が、遠い昔、誰かが歩いた場所を歩いた。
何百年も前の時間と、君の今日が、ほんの一瞬だけ重なった。
その意味を、今は知らなくていい。
知らないまま、出逢っておけばいい。
いつか君が、今日のことを、思い出す日がくるかもしれない。
「ここ、行ったことある。」
その一言から、眠っていた景色が、ゆっくりと、意味を持ち始めるかもしれない。
だから私は、君に答えを渡すのではなく、まだ名前のない景色を渡したい。
いつか君が、自分の人生を歩く時のためにーー。
ー親が、未来を作るのではない。子どもが自分の未来を選べるように、今日、いくつもの扉を置いておくー
だから親に出来る事は、答えを渡す事ではありません。
いつか娘自身が、自分で答えを見つけられるように、世界の中にたくさんの「出逢い」を置いておく事。
旅も、そう。ただーー
☆こんな、世界もあるよ
★こんな、景色もあるよ
☆こんな、時代を生きた人もいたよ
ーーそうやって、まだ見ぬ未来の娘の足元に、そっと置いておく。
その時には、何の意味も持たなかった景色が、10年後・20年後になって、突然意味を持ちだすかもしれないーー。
☆小さい時に、見たことがある
★あの場所に、行ったことがある
☆あの時、パパと一緒に歩いた場所
ーーそんな小さな記憶が、人生のどこかで、ふいに繋がる。
だから子どもとの旅で、親が残しているのは、思い出だけではない。
子どもとの旅で、親が残しているのは、未来の娘が世界を見る為の、いくつもの扉ですーー。
☆いつか、自分の人生に迷った時
★世界に、不安を感じた時
☆自分とは違う、誰かと出逢った時
ーー幼い頃に用意した、未来の扉が、ほんの少しだけ、心の余白になってくれたらいい。
ーーただ、君の人生には、まだ私の知らない「いつか」がある。
だから私は「今日」を、連れて行く。
昨日より、遠くへ。昨日より、知らない場所へ。
そして、今日見た景色を、君の未来へ、そっと預ける。
いつか君が、自分の足で歩く人生の中で、ふと立ち止まり、遠い昔の景色を思い出す。
その時、今日の旅が、静かに君の隣に戻ってきてくれたらいいーー。
ー旅とは、子どもの未来の選択肢を、そっと増やしていくものー
「世界には、自分の知らないものが、たくさんある。」
そう思える人は、きっと、自分と違うものを、自分と違うという理由だけで、怖がらなくなるーー。
☆わからないものを、すぐに否定しない
★知らないものを、すぐに遠ざけない
ーーまず「こんな、世界もあるんだ。」と、1度立ち止まる事が出来る。
旅で育てているのは、そういう力なのかもしれません。
それは、歴史に限りませんーー。
☆知らない、街
★知らない、文化
☆知らない、価値観
ーー人生とは、知らないものとの出逢いにより、少しずつ広がっていくもの。
だから私は、娘を「正しい未来」へ、連れて行きたいわけではない。
「たくさんの未来」が、存在する世界へ、連れて行きたい。
選択肢を、増やしてあげたい。
その中から、どの道を選ぶかは、娘に任せればいい。
親が出来るのは、道を決める事ではない。
親が出来るのは、まだ娘が知らない道の存在を、そっと教えておく事。
私達は、今回の岩手の旅で、平安時代という「過去」に出逢いに行ったつもりでした。
けれど、本当は「未来」へ向かって、種を蒔きに行ったのかもしれないーー。
☆いつ芽が出るのかは、わからない
★どんな花になるのかも、わからない
ーーそれで、いい。親には、未来の娘を見る事は、出来ないから。
だからこそ、今出来る事をするーー。
☆知らない場所へ、行く
★知らない景色を、見る
☆知らない時間に、触れる
ーーそして、その小さな記憶を、娘と一緒に持って帰る。
いつかその種が、娘自身の人生のどこかで、芽を出す事を願いながら。
親は、子どもに、答えを渡さない。
ただ、未来の子どもが、自分で答えを見つけられるように。
今日もまた、私は、娘とまだ知らない場所を、歩いていく。