ーー「私は、自己肯定感が高い」という声に、ほんの少しだけ輪郭のズレを感じる。
それはたぶん、光そのものは「私は、光です」と言わないことを、どこかで知っているからだ。
満ちているものは、満ちていることを証明しない。
静かな水面は、静かである理由を説明しない。
けれど時々、その言葉は、空気の中に置かれる。
まるで揺れないことを、揺れながら確かめるようにーー。
♦自己肯定感とは、説明する前に、すでにあるもの
「自己肯定感が高い」と自ら口にする人に、どこか説明しきれない違和感を感じる事があります。
もちろん、その言葉自体が間違っているわけではありません。
寧ろ、自己理解の1つの表現として成立しているのだとも思います。
それでもなお、その言葉が発せられた瞬間、少しだけ立ち止まってしまう感覚が残ります。
私は「自己肯定感が高い」と言う人を、否定したいわけではありません。
ただ「自己肯定感が高い」と自分で言う人には、いくつかの構造的なズレが起きやすい事は事実であり、今日はそのズレを辿りたいと思います。
ーー肯定とは、宣言ではなく、もっと曖昧で、名付ける前に消えていくようなものなのかもしれない。
だから少しだけ、その言葉だけが先に歩いているように見える時、こちらは立ち止まってしまう。
そして、気付く。
肯定されているのは自分ではなく、その言葉そのものかもしれない。とーー。
ー語られる自己肯定感は形を持ち、語れらない自己肯定感は土台になるー
自己肯定感が安定している人は、わざわざ「自分は自己肯定感が高い」と定義しません。
なぜなら、それは状態(being)であり、主張(claim)ではないからです。
自己肯定感には、2つの層があります。
①「自分をどう評価するのか」という認知的な層:表層
②「自分は自分でいていい」という身体感覚に近い層:深層
多くの人に言語化される自己肯定感は、①の表層。
ここが、違和感の正体です。
①評価層:自己肯定感の表層
★自分をどう思うか(自信・価値)
☆思考・言語で扱える
★比較や基準が必要
☆説明・共有が可能
②前提層:自己肯定感の深層
☆自分でいていいという成立感
★無意識・身体感覚に近い
☆評価を必要としない
★状態として存在
①自己肯定感の表層は、言語化しやすいです。
何故なら「何かを基準にして、自分をどう見るのか」という思考の結果だからです。
言語はーー
☆対象を切り出す
★定義する
☆他者と共有する
ーー等という性質を持ちます。
本来の自己肯定感である②自己肯定感の深層は「評価している」というよりも「成立している」に近い状態です。
たとえば、上手くいっている時だけでなく、失敗した時・不安な時でも「それでも自分でいていい」という前提が崩れない状態。
この感覚は、思考の前にある為、言葉にしようとすると、少しズレるのです。
ーー本来の自己肯定感は、語られないのではなく、語る前にすでにそこにあるもの。
語られた自己肯定感は、間違いではない。
ただそれは、少し外側にあるもの。
内側にあるものは、説明されず、証明もされず、ただ崩れないまま、静かに残っている。
そして人は時々、その静けさと、言葉のあいだに、わずかな温度差を感じるーー。
ー自己肯定感とは見つめるものではなく、見つめているその足場のことであるー
ここが核心。
自己肯定感が深い層で安定している時、それは対象ではなく、前提として機能しています。
②自己肯定感の深層はーー
☆そもそも対象ではない
★常に背景として存在している
☆意識に上がらない
ーーなので、言葉にしようすると、その時点で別物(①自己肯定感の表層)になってしまうのです。
では、人はいつ「自分は自己肯定感が高い」と言いたくなるのか?
揺れた時と確認したい時です。
♧揺れた時
★不安・比較・評価が入る
→「自分は大丈夫か?」が生まれる
♧確認したい時
★自分の状態を定義したい
→他者に伝えたい
自己肯定感の言語化とは、安定の結果ではなく、調整のプロセスなのです。
ー「ある」と言う前にあるもの。それが自己肯定感の土台ー
「自己肯定感が高い」と言う人は、①自己肯定感の表層で自己を定義しています。
しかし、本来の自己肯定感とは、②自己肯定感の深層にあります。
「自己肯定感が高い」と言う人に対する違和感は、前提を評価として語っている構造のズレにあります。
自己肯定感とは、語れるものではありません。
自己肯定感とは、語る前にあるものです。
語られた時点で、本来の自己肯定感からズレているのです。