ーー誉め言葉が、宙を舞う国がある。
「すごいですね。」と差し出された言葉は「いえいえ。」と静かに返される。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
褒められる事は嬉しい事のはずなのに、何故かこの国の人は、一歩引く。
まるで、光を向けられる事を避けるようにーー。
♦誉め言葉が、まっすぐ届かない国
②褒められる=評価されるという感覚
ー誉められるという事は、光の矢を浴びるという事。日本人は、その光に目を細め、喜びよりも影の重さを測るー
褒められる=評価されるという感覚は、日本社会の評価構造と、深く関係しています。
欧米だと、誉め言葉はーー
☆その服素敵だね→感想
★いい仕事してるね→感想
ーーという横のコミュニケーションです。
これに対し、日本では、誉め言葉はーー
★いい仕事だね→評価
☆頑張ってるね→査定
★すごいね→ランク付け
ーーのように、上下関係の評価言語として使われてきました。
つまり、多くの日本人は、無意識の中で、褒め=好意ではなく評価として処理されるのです。
ーー褒められる事は嬉しい事のはずなのに、何故かこの国の人は、一歩引く。
まるで、光を向けられる事を避けるように。
それは、謙虚さなのか?
それとも、目立たない為の智恵なのか?
この国では、承認よりも調和が優先される。
称賛よりも、場の空気に溶け込む事の方が重んじられるーー。
ー承認の言葉のようでいて、日本では、誉め言葉は静かな序列発表になるー
褒められる事を評価として受け取ると、何が起きるでしょうか?
★期待されるのでは?
☆次も同じ成果を求められる?
★失敗したら落差が出る?
褒められる事を評価として受け取ると、上記のように考えます。
つまり、褒められる=ハードルが上がるという感覚です。
だから、防衛反応としてーー
★そんな事ないです:期待値下げ
☆まだまだです:予防線
★たまたまです:責任回避
ーー等という反応になるのです。
これは謙遜というよりも、期待値コントロール技術なのかもしれません。
褒め=好意ではなく評価という世界観が染みついている日本人は、褒められている人を見ると「この人は出来る人」と感じます。
そして「この人は出来る人」と思われると、役割増える・責任増える・仕事増えるとなりやすい社会です。
このように分析すると、褒められる=負担が増える可能性となります。
日本では、褒めが承認ではなく、序列信号になっているのです。
ーーこの国では、承認よりも調和が優先される。
称賛よりも、場の空気に溶け込む事の方が重んじられる。
だから今日もまた、誉め言葉は、心に届く前に打ち返される。
「ありがとう。」と言えば終わるはずの会話が消えてしまう国。日本ーー。
ー承認を知らない心は、優しさを向けられても、防御の仕方しか知らないー
③承認に慣れていない
日本社会では褒める文化よりも、指摘・注意・減点評価の文化が長く続いてきました。
小学校から会社に至るまで、聞こえてくるのはーー
★ここが間違っている
☆もっとこうして
★何で出来ないの?
ーー等の指摘・注意・減点評価の言葉です。
その為、日本人にとっては「褒める」「褒められる」事自体が珍しい経験であり、心理的に受け取り方が未熟な状態なのです。
褒められる=経験値が低い刺激となり、どのように反応していいのかが、わからないのです。
ー承認に飢えた社会ほど、承認の受け取り方を知らないー
日本では、誉め言葉は単なる感想ではなく、序列や責任のサインとして、受け取られます。
★「すごいね」=能力が認められた
☆認められた=次も同じかそれ以上を求められる
★求められる=逃れられない責任と期待
日本人には、誉め言葉が承認と期待値の引換券として、脳にインプットされているのです。
欧米の文化では、褒め言葉は、感情の共有です。
その為、褒められた側は「嬉しい」と素直に表現が出来ます。
しかし、日本の文化では、誉め言葉が承認と期待値の引換券になっている為、褒められた側が「嬉しい」と素直に表現が出来ません。
日本の文化においては、称賛は喜びではなく、次への契約書のような役割を持っているのです。