私は、誰にでも優しい人を、信頼出来ません。
私は、優しさとは、公平であるべきではないと、考えています。
優しさとは、誰かを選び、誰かを選ばない行為である為です。
♦誰にでも優しい人は、人を信じていない。だから、誰にでも同じ顔を見せる
ーー誰にでも優しい人がいる。
その人は、怒らない。責めない。拒まない。
けれど、その優しさの奥にあるのは、感情ではない。
人は、弱い。
人は、簡単に誰かを傷つける。
そして、それが自分自身に向かってくる事を、無意識に避けている人が、誰にでも優しい人であるーー。
♦優しさを世界に広げ過ぎると、1人の人に、深く届かなくなる
「一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さな微笑みに飢えているのです。」
マザー・テレサの言葉です。
私自身、高校生の時にマザーの本を読み、映画を観て「20歳になったら、インドに行こう」と決めました。
そして、実際にインドに行き、感じたのは「感動」ではなく「違和感」でした。
マザー・テレサは、自分が救った子ども達や、マザーの為に尽力してくれる仲間、特に側近には、極めて冷淡であったという報告が複数されています。
★彼女が、特定の親しい人と深い愛情関係を築けないタイプの人であり
→だからこそ、貧しい多くの人達を救っていく事が出来たとしたら?
「誰にでも優しい人」は、特定の人に、深い愛を注げられないという特徴があります。
ーー人は、弱い。
人は、簡単に誰かを傷つける。
そして、それが自分自身に向かってくる事を、無意識に避けている人が、誰にでも優しい人。
それを知ってしまった人は、感情ではなく、決まりのように優しくなる。
好きだからではない。
信じているからでもない。
ただ、人間というものに、期待し過ぎないためにーー。
ー優しさをルールにした人は、もう誰かを本気で好きになることはできないー
「誰にでも優しい人」は、優しさを、感情ではなく、ルールにしています。
「本当に人を信頼している人」はーー
☆好きな人には、優しい
★嫌いな人とは、距離を取る
「本当に、人を信頼している人」は「自分の感情に従った行動」を取ります。
これに対し「誰にでも優しい人」はーー
★誰にでも、丁寧
☆誰にでも、同じ対応
「誰にでも優しい人」は「人間関係を感情ではなく、ルールで処理」しているのです。
これは「人を信用すると傷つく」という自分自身に対する防衛でもあります。
ー誰にでも優しい人は、人を傷つけないかもしれない。だが、誰も自分の中に入れないー
「誰にでも優しい人」はーー
★争いを、避ける
☆嫌われるのを、避ける
★感情的な衝突を、避ける
傾向があります。
その為、人との関係が「浅い優しさを広く配る」という関係になります。
その結果ーー
★多くの人に、好かれる
☆でも、本当に信頼出来る人はいない
という構造になるのです。
ーー好きだからではない。
信じているからでもない。
ただ、人間というものに、期待し過ぎないために。
だから、その人は、誰にでも優しい。
誰にも失望しないように。
そして、誰にも深く裏切られないように。
優しさとは、心が、世界にかけた静かな防御なのかもしれないーー。
ー誰にでも優しい人が、1番怖い。誰にも、執着していないからだー
「誰にでも優しい人」は、特定の近しい人に、冷たくなる傾向があります。それも、突然。
「誰にでも優しい人」が冷たくなるのは、相手が近づきすぎた時です。
深く踏み込まれると、優しさの防御が働き、急に距離を取る事があります。
「誰にでも優しい人」は、何も言わず、あなたの元を去っていきます。