遠回りの中で、自分に出逢うー自分を知る旅は、いつか誰かの心に触れる旅になるー
ーーだから、誰かを理解しようとするとき、必要なのは、わかることだけではない。
わからないまま、その人を大切にすること。
わからないものを、無理に、わかろうとしない。
その距離を、そのまま大切にできたとき、人と人との間に、静かな優しさが生まれるのかもしれないーー。
ー自分を深く知った人ほど、他人を簡単に決めつけない。わからない心を、わからないまま愛する余白を持っているー
人の言葉だけを見ていると、人の本当の姿は、見えてきません。
その言葉の奥にあるものを想像するには、自分自身の中にある「弱さ」や「怖さ」を、知る必要があります。
だから、人を理解するという事は、相手を分析する事ではありません。
相手を、自分の物差しで測る事でもありません。
「もし、自分だったら。」と、その人の世界に、ほんの少しだけ立ってみる事。
そして「自分だったら、どうするだろう?」と考えた後に「でも、この人は自分とは違う人生を生きてきた。」と、一歩引いて考える事。
わかろうとする事と、わからない事を受け入れる事。
この2つがあって、初めて、人の心に近づけるのだと、思う。
ーー自分を理解するということは、自分を好きになるということだけではない。
好きになれない自分も、認めたくない自分も、逃げ出したくなる自分も、そのまま見つめることなのだと、思う。
そして、自分の中にある、そんな不完全さを知ったとき、誰かの不完全さにも、少しだけ優しくなれるーー。
ー人の心を理解したいのなら、まず自分の心の奥へ降りていくこと。そこには、誰かと重なる場所があるー
自分自身を知る旅は、いつか誰かを理解する為の力になっていきますーー。
☆自分が寂しかったから、誰かの寂しさに気づける
★自分が怖かったから、誰かの恐れに気づける
☆自分が迷ったから、誰かの迷いを受け入れられる
ーー人の痛みは、知識だけでは、わかりません。
きっと、自分の中にも、似た痛みを抱えた事があるからこそ、気づけるものがあります。
だからーー
☆若い頃に、1人になること
★知らない場所へ、行ってみること
☆自分の「普通」が通じない世界を、体験すること
ーーその経験は、その時には、何の意味もないように思えるかもしれません。
けれど、何年・何十年も経ったある日、ふと、その経験が自分の中に残っている事に、気づきます。
「あの時の自分は、こんなことを感じていたんだ。」と。
その気づきが、また1つ、自分を探してくれます。
そして、自分を深く知った人ほど、他人を簡単に決めつけなくなります。
「この人は、こういう人」ではなく「この人にも、この人にしかわからない人生がある」と、思えるようになる。
人を理解する深さは、自分自身を理解した深さを、超えないのです。
ーー自分を知ることは、自分のためだけではない。
いつか誰かの心に触れるとき、その人を決めつけず、傷つけず、ただ静かに隣にいるための、小さな灯りになるのだと思う。
自分の心を深く歩いた人ほど、誰かの心に、静かに寄り添えるのかもしれないーー。
ー遠くへ行き、自分を深く知った人ほど、目の前にある「今日」が、当たり前ではないことを知るー
だからこそ、自分を知る旅は、いつか誰かを理解する旅に、繋がる。
そして、その旅の途中で、私達は、もう1つ大切な事を、知ります。
今、ここにある日常も、決して当たり前ではないという事をーー。
☆今日、目を覚ませたこと
★今日、大切な人と話ができたこと
☆今日、無事に1日を終えられること
ーーそれらは、何も起こらなかった1日ではありません。
何事もなく、無事に過ぎてくれた1日なのだ。
1人になって、遠くへ行って、自分の「普通」が通じない世界を体験して、初めて、人は無事が当たり前ではない事に、気づく。
そして今日も、その「当たり前ではない1日」を、大切に生きていきたい。