「いい人」が多いのに、対話が難しい理由ー人は正しさで別れ、敬意で出逢うー
ーーあなたのことが、好きとは限らない。
あなたの考えに、賛成できるとも限らない。
正直、わかりあえないと感じることもある。
それでも、あなたが生きてきた時間を、私は知らない。
あなたが乗り越えてきたものを、私は知らない。
あなたが抱えている孤独を、私は知らない。
知らないということ。
その事実の前で、人は、少しだけ謙虚になれるーー。
♦理解の橋は、崩れることがある。しかし敬意の橋は、違いの上に架かる
私達は、礼儀を重んじる文化の中で、育ってきました。
しかし、礼儀と敬意は、必ずしも同じものではありません。
相手に頭を下げる事と、相手を尊重する事は、違う。
相手に同意する事と、相手を認める事は、違う。
本当の敬意とは、相手を好きになる事ではありません。
本当の敬意とは、相手を自分とは異なる人生を歩んできた1人の人として認める事ではないでしょうか?
ーー私の正しさは、私が歩いてきた道の中で生まれたものだ。
あなたの正しさもまた、あなたが歩いてきた道の中で生まれたものだろう。
だから、どちらが正しいかを決める前に、私は、立ち止まりたい。
理解できないから否定するのではなく、理解できないまま、耳を傾けたい。
敬意とは、共感ではない。
敬意とは、同意でもない。
敬意とは、相手を変えようとしないことなのかもしれない。
違う世界を生きている人が、確かにここにいる。
その事実を、認めることーー。
ー理解できないから否定するのではなく、理解できないまま耳を傾ける。その姿勢を、敬意と呼ぶのかもしれないー
「好き嫌い」と「敬意」を切り分ける文化が弱い事が、日本人のコミュニケーションの1つの特徴です。
日本では、人間関係を保つ為に「感情」と「関係性」が結びついている事が多くーー
★好きな人には、協力する
☆嫌いな人とは、距離を置く
★感情が、評価に影響する
ーーという傾向がみられます。
一方で、欧米の文化では「好きかどうか」と「尊重するかどうか」を別のものとして扱う傾向があります。
その為ーー
☆あなたの意見には反対だが、あなたを尊重している
★個人的には合わないが、一緒に仕事ができる
ーーという関係が、成立しやすいです。
ーー日本には、関係を大切にする文化がある。
和を守り、空気を読み、波風を立てない。
それは、美しい智恵でもある。
しかし時に「仲間だから大切にする」と「人として尊重する」が、混ざり合う。
仲間でなくなった瞬間に、敬意まで失われてしまうことがある。
好きだから認める。役職があるから頭を下げる。能力があるから評価する。
それは敬意に見えるが、敬意ではない。
敬意とは、相手に賛成することではない。相手を好きになることでもない。
ただ「あなたは、私とは違う人生を生きてきた」という事実の前に、静かに立つことであるーー。
ー礼儀は、関係を守る。敬意は、人格を守るー
日本では、相手への不満や嫌悪感が生じると、相手の人格や存在そのものの評価にまで広がりやすく、結果として対話が困難になる事があります。
構造的に見ると、日本社会は長く村社会の共同体の中で発展してきた為ーー
★仲間か、どうか
☆空気を、読めるか
★関係を、乱さないか
ーーが重視されてきました。
その為「相手を尊重するから意見を聞く」よりも「仲間だから受け入れる」「嫌いだから聞かない」という力学が働きやすいのです。
日本では「個人」よりも「関係」が先に認識されやすいですーー。
★同じ学校の人
☆同じ会社の人
★同じ地域の人
ーーという文脈の中で、人を見ます。
その為、敬意も「その人自身への敬意」ではなく「関係性を維持する為の配慮」として機能します。
だから興味深い事に、日本では礼儀正しい人でも、相手への敬意が高いとは限りませんーー。
★敬語は、使う
☆丁寧に、接する
★相手を、立てる
ーーしかし、心の中では相手を見下している。これは、珍しい事ではありません。
何故なら、その行動の目的が「相手への敬意」ではなく「関係を壊さない」事にあるからです。
ーー敬意とは、感情の反射ではなく、意志の選択である。
好きだから、尊重するのではない。嫌いでも、尊重する。
賛成だから、聞くのではない。反対でも、聞く。
その選択ができる時、人は初めて、関係ではなく人格と向き合う。
社会が成熟するとは、優しい人が増えることではない。
社会が成熟するとは、敬意を持てる人が増えることだ。
なぜなら優しさは感情だが、敬意は覚悟だからだーー。
ー敬意とは、相手の存在価値を自分の感情より少し上に置くことであるー
敬意とは「賛成する事」でも「好きになる事」でもありません。
敬意とは「相手にも自分と同じように考えや経験があり、その存在には価値があると認める事」です。
だから、成熟したコミュニケーションとは、好きな人を尊重する事ではありません。
成熟したコミュニケーションとは、好きではない人に対しても最低限の敬意を保てる事です。
そこに感情ではなく、人格への尊重が生まれた時、対話は初めて成立します。