「わかってほしい」が「自分の思い通りになってほしい」に、変わる時ー相手を変える事と、問題を解決する事は違うー
ーー私は今、この人に何かを伝えたいのか?
それとも、この人を自分の思い通りにしたいのか?
きっと、答えは、声の中にはない。
声が消えた後の、小さな違和感の中にある。
そして、その違和感から逃げずにいられる人だけが、自分の正しさよりも、相手の人生を大切にできる。
静かな人は、何も言わない人ではない。
言葉で相手を動かせる時ほど、あえて、その力を使わない人のことだーー。
ー声の大きさは、正しさの強さではない。正しさへの、執着の強さだー
人は、誰かを注意する時、なぜ声が大きくなってしまうのでしょうか?
私は、子どもの頃から、大きな声で、注意、否、自分の感情を振りまく大人に、嫌悪感を抱いていました。
最初は「それは、やめた方がいい。」だったものが、
それが「やめてって、言ってるでしょ。」になり、
最後には「何回言ったら、わかるの。」になる。
気付けば、声も大きくなっている。
この現象は、なぜ起こるのでしょうか?
怒っているから。勿論、それもあります。
でも、その奥には、もっと恐ろしいものがあります。
「自分が正しい事を、相手に認めさせたい。」という、気持ちです。
最初は「問題を解決したい。」と、思っていた事でしょう。
残念ながら、それすらもない大人も一定数存在しますが‥。
でも、相手が自分の思い通りに動かない。
その瞬間から、問題を解決する事よりも「なぜ、この人は自分の言う事を聞かないのか?」という苛立ちが、大きくなっていきます。
そして、いつの間にか「問題を、解決したい」から「自分が、正しい事を確認したい」へ、目的が変わっていきます。
ここから、声が大きくなりますーー。
★言葉が、強くなる
☆同じ事を、何度も繰り返す
ーーそれでも相手が、自分の思った通りに動かなければ「何回言ったら、わかるの?」に、なります。
ーー正しいことを、正しいまま伝えること。
これは、思っているより難しい。
相手が納得しなくても、声を荒げない。
相手が従わなくても、見捨てない。
相手が自分とは違う答えを選んでも、その答えを奪わない。
そこまできて、ようやく、正しさは、人を傷つけない。
本当の強さとは、自分の正しさを、押し付ける力ではない。
自分が正しいと思っている時でさえ、相手の自由を残しておける力だーー。
ー強さとは、相手を従わせる力ではない。相手が自分と違うままでいられることを、許せることであるー
ただ、考えてみてほしい。
相手が自分の思った通りに動かない事と、相手が間違っている事は、同じではありませんーー。
★自分が、正しい
☆だから相手も、そうするべき
ーーそう考え始めた瞬間「正しさ」は「命令」に、変わります。
「注意」は「支配」に、近づいていきます。
怖いのは、本人が、この事に気付いていない事ですーー。
★相手のために、言っている
☆間違っているから、教えている
★相手のためを、思うからこそ、伝えている
ーーだから、声を荒げても、相手を追い詰めても、自分の中では「正しい事」をしていると、思っています。
正義とは、不思議なもの。
正義は、自分を悪者にしません。
寧ろ「自分は、正しい」という、確信を与えてくれる。
だからこそ、正義は、危うい。
本当に問題を解決したいのなら、相手が自分の思い通りに、動く必要はありません。
「自分が、正しい」と、確認する必要もありません。
必要なのは、問題が、ただ少しでも良い方向に、動く事。
それだけ、です。
だから、相手が自分の思い通りにならない時程、一旦立ち止まってみましょうーー。
★私は今、問題を解決したいのか
☆それとも、この人を自分の思い通りに動かしたいのか
★そして、自分が正しい事を確認したいだけではないのか
ーーこの問いは、自分自身に、向けなければなりません。
人にはーー
☆自分とは、違う答えを選ぶ自由がある
★自分とは、違う考え方をする自由がある
ーーそして、自分の正しさを、受け入れない自由さえ、あるのです。
それを認められなくなった時、私達は、相手の為に、話しているのではなくなります。
それを認められなくなった時、私達は、自分の正しさを守る為に、話しているのです。
本当に強い人は、自分が正しいと思う時ほど、相手を自分の思い通りに、しようとしませんーー。
☆静かに、伝える
★相手の、答えを待つ
ーーそして、自分とは違う答えを選ぶ自由を、最後まで相手に残しておく。
正しさとは、相手を変える力ではありません。
相手が自分と違うままでいられる事を、許せる強さを、私は正しさと呼びたい。