人は、自分が守られた形でしか他者を守れない13ー子どもを手放すのではない。自分の人生へ、送り出すー



 

  ♦ここにいていい、から始まる人生

 

 

 

 

 多様性が当たり前の環境で育った子どもは「認められるために頑張る」のではなく「ここにいていい」から、人生を始める。

 

 そこで育つ自己肯定感は、褒められた時だけ育つものでも、否定された時に壊れるものでもない。

 

 

 違いを恐れる事も、誰かと比べる事も、自分を守るために誰かを下げる必要もない。

 

 これが多様性が当たり前の環境の中で育つ「質の違う自己肯定感」。

 

 

 これから綴るのは、そんな物語。

 

 

 

 



 ーー小さな手を、ずっと握っていた。

 転ばないように。迷わないように。傷つかないように。


 手を握っていることが、愛だと、思っていた。




 けれど、いつか気付く。

 この手は、私の所に置いておくためのものじゃない。


 いつか、私の知らない場所へ向かうための手なのだ、とーー。




 

 

 

 

 

  ー守ることとは、隣に置き続けることではない。いつか自分の手を離れていく日まで「あなたなら、大丈夫」を育てていくことー

 

 

 この感覚は、親子の距離にも、表れますーー。


   ☆子どもを愛している

 

   ★大切に思っている

 

   ☆心配もしている

 

 

 それなのに。否、だからこそーー。

 

 

   ★子どもが、失敗しないようにする

   ☆親が、先回りする

   ★親が、口を出し過ぎる


 ーー気付けば「守る」という愛情が、子どもの人生に入り過ぎてしまいます。


 

 

 

 親子関係において大切なのは「愛情の量」ではありません。

 

 親子関係において大切なのは「愛情の距離」です。

 

 

 

 近いことが良い事ではなく、遠いことが悪いことでもない。

 

 必要な時には近づき、必要な時には離れる。

 そして、離れている時間を「不安」ではなく「信頼」で、過ごせる事です。










 ーーあなたが失敗しても、私はあなたを見失わない。

 それが、本当の安心なのかもしれない。



 分かり合えない日が、あってもいい。喧嘩を、してもいい。離れても、いい。

 それでも、帰る場所は、消えない。



 だから「帰っておいで。」と言いながら「行っておいで。」と、言う。

 矛盾しているようで、たぶん、それが愛なのだと思うーー。



 

 

 

 

  ー愛とは、わかり合うことではない。わかり合えない日にも、関係を終わらせないことー

 

 


 人は、親からどれだけ愛されたかだけを、覚えているのではありません。

 もっと深い所で「自分は、どこまで自分でいてよかったのか」を、覚えていますーー。



   ☆怒っても、よかったのか

   ★親と違う意見を、言ってもよかったのか

   ☆失敗しても、戻ってこれたのか



 ーーそして、親から離れても、愛情まで失わずに済んだのか?

 だから、人は愛された方法ではなく、許されてきた距離の中で、我が子を愛するのです。





 親子だからといって、全てをわかり合う必要等、ありません。

 寧ろ、わかり合えなかったのに、関係が続いた記憶の方が、子どもの深い所を、支えていきますーー。


   ☆ママとは、意見が違った

   ★パパからは、反対された


 ーーそれでも、関係は続いた。帰る場所も、変わらなかった。



 「違っても、関係は続く」

 その記憶が、子どもの人生を、静かに灯し続けます。


 

 

 

 

 

 

 

 

  「及川さん、背中にも目があるみたいです!」

 

  「‥何でそれを知ってる‥?」

 

  「えっっ」‥冗談‥冗談だよな‥

 

 

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  「見るのも当然大事だけど、相手にどう見られてるかも計算に入れなきゃね。」

 

  「‥‥!」

 

 

  『ハイキュー』及川徹と日向の物語です。




 

 

 

  ー才能は開花させるもの。センスは磨くものー



 親は、子どもを見ますーー。


   ☆子どもの、表情を見る

   ★子どもの、行動を見る

   ☆子どもの、未来を見る


 ーーでも、親子関係で本当に大切なのは「親が子どもを、どう見るか。」だけでは、ありません。


 「子どもから、自分はどう見られているか。」

 私達は、そこまで見えているでしょうか?




 失敗した時、子どもから見たあなたは「助けてくれる人なのか?」

 それとも「失敗させてくれない人なのか?」


 意見が違った時「話しても、大丈夫な人なのか?」

 それとも「違う事を言ったら、怒る人なのか?」



 親は、子どもを見ています。

 けれど、子どももまた、親を見ているのです。



 




 ーー子どもを、自分の隣に置いておくために、愛するのではない。

 自分の隣から、安心して離れていけるように、愛する。



 そしていつか人生を振り返った子どもに、こう思ってもらえたらいい。

 パパは、私を止めなかった。ママは、私を見捨てもしなかった。



 ただ、ずっと、そこにいてくれた。

 だから私は、遠くまで行けた。



 帰れる場所が、あったからだけではない。

 自分の足で歩いていいと、知っていたからーー。

 


 

 

 

 

  ー「ここにいていい。」と知った子どもは「ここにいなければ、いけない。」とは思わない。だから、どこへでも行けるー

 



 子どもは、いつか親から、離れていきますーー。


    ☆親の答えではなく、自分の答えを探す

    ★親が先回りするのではなく、自分自身で失敗する

    ☆親の歩いた道ではなく、自分の道を歩く


 ーーそして、いつか親にも見えない場所まで、歩いていく。




 その時「離れてしまった。」と、思うのか。

 それとも「自分の足で、歩けるようになった。」と、思うのか。



 子どもが遠くへ行けるかは、子どもの強さだけでは、決まりません。


 「行っておいで。」と、言える親がいるのか。

 そして、遠くなった背中を見ながら「それでも、愛は変わらない。」と、親自身が信じられるか。


 その安心が、子どもを、もっと遠くへ行かせるのです。




 愛とは、繋ぎ止める力ではないと、私は思います。

 隣に置き続ける事でも、ありません。

 私は愛とは、離れても戻って来られると、信じる力であると、思っています。



 認められたから、ここにいるのではない。

 ここにいていい。だから、どこへでも行ける。