♦ここにいていい、から始まる人生
多様性が当たり前の環境で育った子どもは「認められるために頑張る」のではなく「ここにいていい」から、人生を始める。
そこで育つ自己肯定感は、褒められた時だけ育つものでも、否定された時に壊れるものでもない。
違いを恐れる事も、誰かと比べる事も、自分を守るために誰かを下げる必要もない。
これが多様性が当たり前の環境の中で育つ「質の違う自己肯定感」。
これから綴るのは、そんな物語。
ーー小さな手を、ずっと握っていた。
転ばないように。迷わないように。傷つかないように。
手を握っていることが、愛だと、思っていた。
けれど、いつか気付く。
この手は、私の所に置いておくためのものじゃない。
いつか、私の知らない場所へ向かうための手なのだ、とーー。
ー守ることとは、隣に置き続けることではない。いつか自分の手を離れていく日まで「あなたなら、大丈夫」を育てていくことー
この感覚は、親子の距離にも、表れますーー。
☆子どもを愛している
★大切に思っている
☆心配もしている
それなのに。否、だからこそーー。
★子どもが、失敗しないようにする
☆親が、先回りする
★親が、口を出し過ぎる
ーー気付けば「守る」という愛情が、子どもの人生に入り過ぎてしまいます。
親子関係において大切なのは「愛情の量」ではありません。
親子関係において大切なのは「愛情の距離」です。
近いことが良い事ではなく、遠いことが悪いことでもない。
必要な時には近づき、必要な時には離れる。
そして、離れている時間を「不安」ではなく「信頼」で、過ごせる事です。
ーーあなたが失敗しても、私はあなたを見失わない。
それが、本当の安心なのかもしれない。
分かり合えない日が、あってもいい。喧嘩を、してもいい。離れても、いい。
それでも、帰る場所は、消えない。
だから「帰っておいで。」と言いながら「行っておいで。」と、言う。
矛盾しているようで、たぶん、それが愛なのだと思うーー。
ー愛とは、わかり合うことではない。わかり合えない日にも、関係を終わらせないことー
人は、親からどれだけ愛されたかだけを、覚えているのではありません。
もっと深い所で「自分は、どこまで自分でいてよかったのか」を、覚えていますーー。
☆怒っても、よかったのか
★親と違う意見を、言ってもよかったのか
☆失敗しても、戻ってこれたのか
ーーそして、親から離れても、愛情まで失わずに済んだのか?
だから、人は愛された方法ではなく、許されてきた距離の中で、我が子を愛するのです。
親子だからといって、全てをわかり合う必要等、ありません。
寧ろ、わかり合えなかったのに、関係が続いた記憶の方が、子どもの深い所を、支えていきますーー。
☆ママとは、意見が違った
★パパからは、反対された
ーーそれでも、関係は続いた。帰る場所も、変わらなかった。
「違っても、関係は続く」
その記憶が、子どもの人生を、静かに灯し続けます。
「及川さん、背中にも目があるみたいです!」
「‥何でそれを知ってる‥?」
「えっっ」‥冗談‥冗談だよな‥
「見るのも当然大事だけど、相手にどう見られてるかも計算に入れなきゃね。」
「‥‥!」
『ハイキュー』及川徹と日向の物語です。
ー才能は開花させるもの。センスは磨くものー
親は、子どもを見ますーー。
☆子どもの、表情を見る
★子どもの、行動を見る
☆子どもの、未来を見る
ーーでも、親子関係で本当に大切なのは「親が子どもを、どう見るか。」だけでは、ありません。
「子どもから、自分はどう見られているか。」
私達は、そこまで見えているでしょうか?
失敗した時、子どもから見たあなたは「助けてくれる人なのか?」
それとも「失敗させてくれない人なのか?」
意見が違った時「話しても、大丈夫な人なのか?」
それとも「違う事を言ったら、怒る人なのか?」
親は、子どもを見ています。
けれど、子どももまた、親を見ているのです。
ーー子どもを、自分の隣に置いておくために、愛するのではない。
自分の隣から、安心して離れていけるように、愛する。
そしていつか人生を振り返った子どもに、こう思ってもらえたらいい。
パパは、私を止めなかった。ママは、私を見捨てもしなかった。
ただ、ずっと、そこにいてくれた。
だから私は、遠くまで行けた。
帰れる場所が、あったからだけではない。
自分の足で歩いていいと、知っていたからーー。
ー「ここにいていい。」と知った子どもは「ここにいなければ、いけない。」とは思わない。だから、どこへでも行けるー
子どもは、いつか親から、離れていきますーー。
☆親の答えではなく、自分の答えを探す
★親が先回りするのではなく、自分自身で失敗する
☆親の歩いた道ではなく、自分の道を歩く
ーーそして、いつか親にも見えない場所まで、歩いていく。
その時「離れてしまった。」と、思うのか。
それとも「自分の足で、歩けるようになった。」と、思うのか。
子どもが遠くへ行けるかは、子どもの強さだけでは、決まりません。
「行っておいで。」と、言える親がいるのか。
そして、遠くなった背中を見ながら「それでも、愛は変わらない。」と、親自身が信じられるか。
その安心が、子どもを、もっと遠くへ行かせるのです。
愛とは、繋ぎ止める力ではないと、私は思います。
隣に置き続ける事でも、ありません。
私は愛とは、離れても戻って来られると、信じる力であると、思っています。
認められたから、ここにいるのではない。
ここにいていい。だから、どこへでも行ける。