「自分ばかり大変」と、思った日にー隣には、まだ読んだことのない物語があるー
ーー人生には、主人公が1人しかいない。
それは、自分だ。
「もう少しだけ、頑張ろう」と、自分に言い聞かせた夜も。
何も言わずに乗り越えた、朝も。
飲み込んだ悔しさも、諦めた夢も、それでも歩き続けた理由も、覚えている。
全部、自分の物語だからだ。
でも、相手にも、物語があるーー。
ー人は、自分の物語しか生きられない。だからこそ、相手にも自分の知らない物語があると信じることが、優しさの始まりであるー
「自分ばかり、頑張っている。」
そう思った事、ありませんかーー?
☆仕事をして、お金を稼ぐ
★家族の将来を守る為、勉強を重ねる
☆自分達の生活を守る為、家賃交渉をしたり、保険の見直しをする
ーー責任を背負いながら「家族の為」と、自分を奮い立たせる。
そんな毎日を積み重ねていると、心のどこかで、思ってしまいます。
「何で、自分ばかり…。」と。
ーーでも、相手にも物語がある。
ただ、その物語を、私は読むことができない。
ページを、めくることも。胸の痛みを、感じることも。
その人が誰にも言えなかった思いを抱えていることさえ、私は知らない。
だから人は、錯覚する。
「自分ばかり、頑張っている。」と。
仕事には、仕事にしかない責任がある。
家事には、家事にしかない終わりのなさがある。
経営には、経営者にしかない孤独がある。
子育てには、子育てにしかない不安と、喜びがある。
それぞれが、自分の物語を、生きている。
だから自分の痛みだけが、鮮明になるーー。
ー自分の苦労は、体験できる。相手の苦労は、想像するしかない。だから人は、優しさを学び続ける必要があるー
でもその頃、家ではパートナーも、同じように感じているかもしれませんーー。
☆朝から、子どもが保育園に行く準備をし
★ご飯を作り、洗濯をし、掃除をする
☆子どもの体調や予定を、気に掛ける
ーー終わりのない子育てや家事に追われながら「私ばかり大変。」と、感じているかもしれません。
では、どちらが正しいのでしょうか?
私は、どちらも正しいと思います。
何故なら、人は、自分の人生しか生きる事が出来ないからです。
自分の苦労は、毎日体験しています。
不安も、悔しさも、疲れも、自分の事だから、よくわかります。
でも、相手の苦労は、体験出来ません。
見えるのは、ほんの一部だけーー。
☆自分の苦労は「体験」
★相手の苦労は「想像」
この違いは、とても大きいです。
ーーそれぞれが、自分の物語を生きている。
だから、自分の痛みだけが、鮮明になる。
それは、わがままだからではない。
人間は、自分の人生しか生きられないからだ。
もし、たった1日だけでも、相手の人生を生きることができるのなら。
きっと「自分ばかり。」という言葉は、消えるだろう。
代わりに、こんな言葉が浮かぶだろう。
「こんなに、頑張っていたんだ。」とーー。
ー私たちは、相手の人生を生きることはできない。だからこそ、想像力は、人が人を愛するために生まれた力なのかもしれないー
だから人は「自分の方が、大変だ。」と、感じやすいです。
これは、優しさが足りないからではありません。
人の、認知の限界なのです。
そして、もう1つ。本当に大変なこと程、目に見えないものーー。
☆仕事の責任
★将来への不安
☆子どもの心配
★誰にも気づかれない気配り
ーーどれも、終わっても拍手はありません。
だから、お互いに「わかってもらえない。」と、感じるのです。
でも、本当に必要なのは「どちらが、大変か」を、決める事ではありません。
「自分には、見えていない苦労が、相手にもある。」
そう、考える事です。
私達は、パートナーの行動は見る事は出来ます。
でも、パートナーが心の中で抱えている事までは、見る事が出来ません。
「ありがとう。」
その一言は、パートナーの苦労を、全部理解したから伝える言葉ではありません。
「私には、見えていない頑張りが、きっとある。」
そう信じる事から、生まれる言葉です。
「自分ばかり、大変。」
そう思った日は、少しだけ立ち止まってみてください。
あなたが知らない物語を、隣にいる人も、今日という1日で紡いでいるのかもしれません。
ーー私たちは、その1日を生きることはできない。
だからこそ、想像することしかできない。
見えない、責任を。見えない、不安を。
見えない、疲れを。見えない、孤独を。
家族とは、同じ物語を生きる人ではない。
別々の物語を持ちながら、1冊の本を、一緒に作る人のことなのかもしれない。
その本は、どちらか1人だけでは、完成しない。
だから今日も、相手の物語を読み切ったつもりにならず、こう問い続けたい。
「この人にも、私には見えていない人生がある。」
そう思えた時、人は、少しだけ優しくなれると、思うーー。