その違和感は、家賃増額ではなかったー人は結果ではなく、扱われ方に納得するー




 ーー人は、結果に傷つくのではない。

 扱われ方に、傷つく。


 もちろん、全ての要求が通るわけではない。世の中は、交渉だけで動いているわけでもない。

 時には、断られる。時には、譲らなければならない。


 それでも、人は自分の声が届く場所にいると感じられれば、不思議と結果を受け入れることができる。




 逆に、自分の存在が最初から計算に入っていないと感じる時、人は数字以上の何かを失う。

 それは、お金ではない。尊重されているという感覚だーー。






  ♦人は結果ではなく、扱われ方を記憶する



 マンションの契約更新の案内が、届きました。

 家賃が2,000円上がり、更新料は家賃1カ月分。


 金額だけ見れば、大きな話ではないかもしれません。

 周辺相場を考えれば、貸主側の提案は、妥当なものであるとも思います。


 私自身、不動産会社を経営しているので、その理屈は理解出来ます。

 それなのに、どこか腑に落ちない感覚になったーー。





 更新の書類には、こちらの意向を確認する欄もなければ、協議の余地も記されていませんでした。

 ただ、値上がりした金額と、支払い期限だけが、記されていました。


 本来、家賃の増額は、貸主が提示し、借主が承諾する事で成立します。

 貸主と借主が向き合い、それぞれの意思が重なった時に初めて成立するものなのです。


 それにも関わらず、更新の書類には「話し合う」という余白が、見つかりませんでした。

 まるで、合意はすでに終わったものとして、扱われているようでした。







 ーー思えば、私たちは、日常の中で同じことを繰り返している。

 家庭で。会社で。学校で。子育てで。



 正しい答えを出すことばかりに夢中になるあまり、その答えを誰に届けているのかを忘れてしまう。

 相手を説得することばかりに夢中で、相手を参加させることを忘れてしまう。





 私たちは、しばしば「結果が良ければ、問題ない」と考えてしまう。

 しかし、現実はそう単純ではない。


 人は、自分の希望が叶った時に、安心するのではない。

 人は、自分が1人の当事者として扱われた時に、安心する。


 だから、望んだ結果に届かなくても、安心できる時がある。

 逆に、どれほど正しい結論であっても、自分抜きで決められたと感じた時、人の心には静かな棘が残るーー。







  ー人は、正しい答えを求めているのではない。自分の存在が、その答えの中に含まれていることを求めるー



 この違和感は、初めてではありませんでした。

 私は、前回の更新時にも同じ事を伝えました。

 実は、不動産会社に対するこの違和感の重なりが、私自身で不動産会社を始めるきっかけの1つでもあります。



 家賃の増額は本来、貸主と借主が協議する事項です。

 金額に賛成するか反対するかとは別に、不動産会社の協議がすでに成立しているかのような、まるで借主を騙すかのようなプロセスに、違和感がある事を伝えました。

 しかし、今回も前回と「同じ内容の更新の書類」が、届きました。





 自分に不利な結果であっても、十分に説明を受け、自分の意見を聴いて貰えたと感じれば、人は受け入れる事が出来る。

 自分に有利な結果であっても、十分な説明がなく、自分抜きで決められたと感じた時、人は結果ではなく扱われ方を記憶する。



 これを心理学では「手続的公正」と呼びます。

 人は結果の公平性だけではなく、そこに至る過程の公平性を重視しますーー。


   ★どのように、決められたか

   ☆自分の意見は、考慮されたか

   ★説明は、尽くされたのか


 ーーこうした要素が、納得感を大きく左右するのです。




 この視点は、不動産に限った話ではありません。

 会社経営でも、同じです。


 経営者は、時に厳しい判断を下さなければなりません。

 しかし、社員が本当に反発しているのは、経営者の判断そのものではない事が多いですーー。



  ★何故そうなったのか、わからない

  ☆自分は、最初から蚊帳の外だった



 ーー経営者の判断ではなく、経営者が判断に至る過程に反発しているのです。





 私達は、自分が思っている以上に「結果」ではなく「扱われ方」に反応します。

 だからこそ、合意形成とは、単に結論を伝える事ではありません。


 合意形成とは、相手を意思を持った当事者として扱う事です。

 今回感じた違和感は、家賃増額の問題ではありませんでした。


 人は、何によって納得するのか。

 その事を改めて考えさせられる出来事でした。






 
 ーー更新の書類を前にして感じた違和感は、家賃の問題ではなかった。


 人が人として扱われるかとは、どういうことなのか。

 そんな問いを、投げかけられた気がした。


 結局のところ、私たちが求めているのは、正しい答えではない。

 私たちが求めているのは、自分の存在が、その答えの中にちゃんと含まれていることなのかもしれないーー。