ーー研修が、始まる。
事例が、読み上げられる。1人の人生が、テーブルの上に置かれる。
なぜ、その選択をしたのか?何に迷い、何を守ろうとしたのか?
本当は、そこから始まるはずだった。
けれど、いつも会話は、別の場所へ流れていく。
サービスは、何を使うか?回数は、どうするか?他に、使える制度はないか?
誰も、間違ったことを言っているわけではない。むしろ皆、真剣に考えている。
だからこそ、不思議なのだ。
なぜ私たちは、理解する前に解決しようとするのだろう。
なぜ私たちは、問いよりも答えを急ぐのだろう。
なぜ私たちは、その人の人生より支援策を語るのだろうーー。
♦人は、見えるものに手を伸ばす
私は、ケアマネの研修で、グループワークをする度に、同じような違和感を覚えます。
事例の本質を考えたいのに、議論は、いつの間にかサービスの話になるのですーー。
★訪問介護を増やしたらどうか
☆違うデイサービスの方が合っているのではないか
★福祉用具を入れた方がいいのではないか
ーー勿論、これらは大切な話です。
しかし、グループワークが終わる度に、私に残るのは学びではなく、疲労感。
まるで地図を眺めながら、目的地そのものを見失っているような感覚。
本当に考えるべきところはーー
☆その人は、何を守ろうとしているのだろう
★家族は、どんな思いでその選択を見つめているのだろう
☆私達は、その人の何を理解できているのだろう
ーーそんな問いに向かう前に、サービスの話ばかりが始まってしまいます。
その背景には、3つの理由があると思いますーー。
①人は正解を探したくなる
②人は抽象より具体の方が安心できる
③人はアセスメントを支援を混同しやすい
ーー私は、この3つが、私達を「なぜ?」という問いから遠ざけ「どうする?」という議論へと向かわせると、考えています。
ーー人は、岸を目指す。
流れの中に立ち続けることが、不安だからだ。
人は、葉を数える。
根を探すより、その方がずっと楽だからだ。
そして人は、理解の旅を急いで終わらせようとする。
まだ見えていないものがあるにも関わらず、答えだけを先に手に入れようとする。
けれど本当に必要なのは、答えなのだろうか?
もしかしたら必要なのは、もう少しだけわからないままでいる勇気なのかもしれないーー。
ー「何が正しいか」を問うと、サービスが見える。「何を大切にしたいか」を問うと、人生が見えるー
①人は正解を探したくなる
人は何故、正解を探したくなるのでしょうか?
正解を探すという行為は、学校教育で強化されますーー。
★問題には、答えがある
☆答えを早く出した人が、評価される
★正解出来れば、安心
ーーという経験を、日本で教育を受けてきた私達は、何十年も積んでいます。
しかし、ケアマネジメントは違います。
利用者の人生にはーー
☆唯一の正解がない
★正解だったものが、時間の経過により不正解になる
☆本人と家族で、望む未来が違う
ーーものです。
つまりケアマネジメントとは「正解を見つける仕事」ではなく「納得できる選択肢を一緒に作る仕事」なのです。
しかし正解思考が強いと「この人には、何のサービスが正しいか」という問いになってしまいます。
本来の問いは「この人は、何を大切に生きているのか」なのに。
ーー人は、灯りのある場所を探す。
そこなら、足元が見えるからだ。
灯りがあれば、何が落ちているのかわかるし、どこへ進めばいいのかもわかる。
だから私たちは、サービスを語る。
支援策を語る。制度を語る。
それらは、灯りのあたる場所にある。
けれど、その人が本当に抱えているものは、いつも少し暗がりの中にある。
失いたくないもの。誰にも言えなかった後悔。家族にも伝えられない願い。
そうしたものは、簡単には見えない。
見えないから、私たちは、不安になる。
不安だから、私たちは、再び灯りの下へ戻ろうとする。
しかし、本当に探しているものは、灯りの下にあるとは限らない。
私たちがするべきことは、灯りの下で答えを探すことだけではない。
見えないものがあると知りながら、その暗がりへ足を踏み入れることなのかもしれないーー。
ー見えるものを追えば、現象に辿り着く。見えないものを探せば、本質に辿り着くー
②人は抽象より具体の方が安心できる
これは、認知の問題です。
たとえば「本人はデイサービスを拒否している」は、具体です。
一方「本人は他者に依存する事に抵抗感を持っている」は、抽象です。
グループワークでは、具体の方が話しやすいです。
何故なら、具体は全員に見えているから。
しかし、本当に重要なのは抽象です。
何故なら「デイサービス拒否」という現象は変わっても「依存への抵抗感」という構造は残るから。
ケアマネが扱うべきは、事象ではなく構造です。
たとえばーー
★訪問介護拒否
☆デイサービス拒否
★福祉用具拒否
ーーこれらは、別々の問題に見えます。
しかし「人の世話になりたくない」という構造を、背景に見る事が出来れば、全部同じ問題となります。
具体を見るのは、入口。
抽象を見るのが、アセスメント。
具体だけを見ていると、現象を追い続ける事になります。
この続きは、また日程。
支援策を語る。制度を語る。
それらは、灯りのあたる場所にある。
けれど、その人が本当に抱えているものは、いつも少し暗がりの中にある。
失いたくないもの。誰にも言えなかった後悔。家族にも伝えられない願い。
そうしたものは、簡単には見えない。
見えないから、私たちは、不安になる。
不安だから、私たちは、再び灯りの下へ戻ろうとする。
しかし、本当に探しているものは、灯りの下にあるとは限らない。
私たちがするべきことは、灯りの下で答えを探すことだけではない。
見えないものがあると知りながら、その暗がりへ足を踏み入れることなのかもしれないーー。
ー見えるものを追えば、現象に辿り着く。見えないものを探せば、本質に辿り着くー
②人は抽象より具体の方が安心できる
これは、認知の問題です。
たとえば「本人はデイサービスを拒否している」は、具体です。
一方「本人は他者に依存する事に抵抗感を持っている」は、抽象です。
グループワークでは、具体の方が話しやすいです。
何故なら、具体は全員に見えているから。
しかし、本当に重要なのは抽象です。
何故なら「デイサービス拒否」という現象は変わっても「依存への抵抗感」という構造は残るから。
ケアマネが扱うべきは、事象ではなく構造です。
たとえばーー
★訪問介護拒否
☆デイサービス拒否
★福祉用具拒否
ーーこれらは、別々の問題に見えます。
しかし「人の世話になりたくない」という構造を、背景に見る事が出来れば、全部同じ問題となります。
具体を見るのは、入口。
抽象を見るのが、アセスメント。
具体だけを見ていると、現象を追い続ける事になります。
この続きは、また日程。