彼が守ったのは少年ではない。その少年の勇気だった2ー挑戦する側に立ち続けた男、クリスティアーノ・ロナウドー



 

 
 ーー世界は、彼を見ていた。

 けれどその日、彼が見ていたのは、1人の少年だった。


 日本の少年は、震えながら質問をした。

 日本語ではない、ポルトガル語で。



 少年のポルトガル語は、完璧ではなかった。

 会場の一部からは、笑いが起きた。


 その時、彼は少年ではなく、笑った大人達の方を見た。

 そして、静かに言った。


 「なぜ、笑うんだ?彼のポルトガル語は、素晴らしいじゃないか。」

 会場は、静かになった。


 彼が守ったのは、少年のポルトガル語ではない。彼が守ったのは、少年の勇気だった。



 

 ロナウドは、知っているから。

 人が笑われるのは、挑戦した時だということを。


 なぜなら、ロナウド自身が、何度も笑われながら、ここまで来たから。

 小さな島で生まれた少年は、世界の頂点に立った後も、忘れていなかった。



 だからあの日、彼の目に映っていたのは、ポルトガル語で質問をする少年だけではなかったのかもしれない。

 彼の目に映っていたのは、勇気を振り絞り、一歩を踏み出した昔の自分だったのかもしれない。



 ロナウドは知っている。挑戦することの怖さを。

 そして、挑戦することの尊さをーー。






  ー神は、信じられる。挑戦者は、試されるー



 2026年ワールドカップ。

 ポルトガルは、初戦でコンゴと引き分けます。


 その批判は、当然のように41歳の男に集まりましたーー。



   ★もう限界だ

   ☆何故ロナウドを使い続ける

   ★やっぱりメッシには勝てない



 ーーロナウドが出場する試合で、ロナウドのチームが結果を出せないと、彼はいつも戦犯にされる。



 これは、今回始まった事ではありません。

 20年以上、彼は同じ経験を繰り返してきました。





 興味深いのは、ロナウド程の実績を持つ選手は、他にいない事ーー。


   ☆代表得点数歴代1位

   ★チャンピオンズリーグ歴代最多得点

   ☆バロンドール5度受賞


 ーークラブでも、代表でも、数えきれない程の記録を作ってきました。

 それでも、ロナウドは、どこかで常に疑われ続ている。





 メッシは違います。

 アルゼンチンでのメッシは、選手というより、神に近い存在ですーー。



   ☆チームメイトも、監督も、彼を最大限尊重する

   ★国民も、彼を愛する

   ☆失敗しても、彼を否定することはない


 ーー2022年ワールドカップ優勝により、その物語は完成しました。



 では何故、同じ時代を生きてきた2人の男に、これ程違う空気が生まれるのでしょうか?








 ーーメッシは、神になった。

 仲間に愛され、国民に愛され、世界に愛された。


 彼が歩けば、人々は奇跡を探した。

 彼がボールを持てば、人々は物語を信じた。


 そして彼は、その期待に応え続けた。神話は、完成した。




 だが、ロナウドは違った。

 世界は彼を認めながらも、どこかで疑い続けた。


 ゴールを決めれば、当然だと言われた。

 ゴールを決めなければ、終わったと言われた。


 勝てば、チームの勝利。負ければ、彼の責任。

 まるで彼には、証明し続けることが宿命として与えられているかのようだったーー。






  ー挑戦者とは、倒れない人のことではない。挑戦者とは、何度も戻ってくる人のことであるー



 それは、能力の差ではありません。実績の差でもありません。

 人々が求める物語の違いです。




 メッシは「人々が憧れた夢の物語」です。


 彼がボールを持つと、人々は結果ではなく、物語を待った。何か特別な事が起こると信じた。

 そして実際に、特別な事が何度も起きた。だから彼は、神話になった。




 ロナウドは「人々が重ねた人生の物語」です。


 努力する。挑戦する。失敗する。笑われる。それでも、もう1度立ち上がる。

 彼の物語は、特別ではない。だからこそ、人々はロナウドの物語に自分の人生を重ねる事が出来る。





 人は、努力する人を尊敬します。

 しかし同時に、人は、努力する人を少し恐れます。


 何故なら、努力する人の存在は、無言で私達に問いかけてくるから。「本当に、そこまでやったのか?」と。



 だからロナウドは、称賛されます。

 そして称賛と同じ位、批判されます。


 だからロナウドは、愛されます。

 そして愛されると同じ位、嫌われます。



 それでも、ロナウドは変わりません。

 初戦で世界中からいつものように批判された数日後、2戦目で彼は2得点を決めました。


 そして試合後、カメラに向けて、否、カメラの向こうの世界に向けて言いました。

 「Im back」と。







 ーーもしかすると、ロナウドは、この役割を嫌っていなかったのかもしれない。

 
 なぜなら彼は、神になりたかったわけではないから。

 彼は、挑戦者でいたかったのだから。




 彼の人生は、いつだって完成形ではなかった。いつだって途中だった。

 だから走れた。だから挑戦できた。だから何度倒れても立ち上がれた。


 初戦の戦犯扱いから、数日後、彼はいつものようにピッチに立つ。

 誰かに許されるためではない。誰かを見返すためでもない。ただ、前へ進むために。



 そして、彼はいつものように結果を出す。



 「Im back」

 その言葉を聞いた時、私は思った。これは世界に向けた言葉なのか。

 違う気がした。あれはきっと12歳の自分へ向けた言葉だーー。





  ー人は、完成された者に憧れる。しかし、心を動かされるのは、未完成のまま挑戦し続ける者だー



 ロナウドは、人生の殆どを証明に使ってきましたーー。


   ☆12歳で故郷を離れた時も

   ★ユナイテッドで挑戦した時も

   ☆マドリードで歴史を作った時も

   ★ユベントスへ移籍した時も

   ☆サウジアラビアへ渡った時も


 ーー常に「無理だ」「終わった」と、言われ続けてきました。

 そして、その度に、結果で返してきた。




 だから彼にとって「Im back」という言葉は、特別な言葉ではありません。

 寧ろ、彼の人生そのものですーー。


   ☆何度否定されても、戻ってくる

   ★何度笑われても、戻ってくる

   ☆何度終わったと言われても、戻ってくる


 ーーあの日の少年を守った行動も、同じなのかもしれません。




 ロナウドは、完璧なポルトガル語を話せなかった少年を見ていたわけではありません。

 ロナウドは、挑戦している少年を見ていました。


 そして、笑う側ではなく、挑戦する側に立つ人間であり続けようとしている。





 だから41歳になった現在も、彼はワールドカップの舞台に立っていますーー。


   ★記録の為ではない

   ☆名声の為ではない


 ーー彼は、昔から同じ事をしているだけ。挑戦する側に立ち続けている。




 メッシが「神になった男」なら、ロナウドは「最後まで挑戦者であり続ける男」なのかもしれません。


 人々がロナウドに惹かれる理由は、ゴールだけではありません。

 心のどこかで、自分もまた、挑戦する側でありたいと思っているからなのかもしれない。








 ーーあれは、きっと12歳の自分に向けた言葉だ。


 故郷を離れた夜の少年へ。EURO決勝で泣いた少年へ。

 ワールドカップで敗れ続けた少年へ。何度も終わったと言われた少年へ。


 まだここにいる。まだ挑戦している。まだ諦めていない。

 その報告だったのではないだろうか。





 メッシは、人々が憧れる夢だった。

 ロナウドは、人々が重ねる人生だった。


 私たちの人生に近いのは、きっと後者だ。

 だから私たちは、ロナウドを見て、自分を見る。

 そして、苦しくなる。そして、勇気をもらう。


 あの日、彼が守ったのは、少年ではなかった。少年の勇気だった。

 そして41歳になった現在もなお、彼自身がその勇気を守り続けている。




 神は、完成された存在だ。

 挑戦者は、違う。挑戦者には、まだ続きがある。

 なぜなら、クリスティアーノ・ロナウドという男は、伝説になった現在もなお、挑戦する側に立ち続けているのだからーー。