ーーもしかすると、人生で本当に大切なのは、大きくなることではないのかもしれない。
大きくなれない自分を、嫌いにならないことなのかもしれない。
試験に、落ちても。仕事に、失敗しても。誰かに、追い越されても。
それでも、あなたは、あなた。
ハチワレは、ハチワレ。うさぎは、うさぎ。そして、ちいかわは、ちいかわ。
誰かにならなくても、誰かより優れていなくても。
今日も、小さな身体で、小さな幸せを抱えて「ここにいる。」
何かを証明しなくても、生きていることそのものが、すでに1つの答えなのかもしれないーー。
ー大きくなることを、幸せと呼んでいい。けれど、大きくなれない日を不幸と呼ばなくていいー
かつては、成長する事が、幸せになる事であると、信じられていましたーー。
☆昨日より、今日
★出来なかった事が、出来るようになる
☆昨日より、高い場所へ行く
ーーそれは、決して間違いではありません。人は、成長する事で、自分の世界を広げる事が出来ます。
努力を重ねる事で、昨日まで見えなかった景色を、見る事も出来ます。
私は「成長なんて、しなくていい。」と、言いたいわけではありません。
寧ろーー
☆頑張りたい人は、頑張ればいい
★資格が欲しければ、挑戦すればいい
☆誰かに、勝ちたいと思ってもいい
ーー問題は、その先にあります。
「成長した自分には、価値がある。」という考えは、いつの間にか「成長出来ない自分には、価値がない。」に、変わってしまう。
そこから、人は苦しくなりますーー。
★資格試験に、落ちる
☆会社で、評価されない
★周りの人が、自分より前に進んで行く
ーーすると、私たちは「今回は、失敗した。」ではなく「自分は、ダメな人間だ。」と、考えてしまいます。
資格試験に落ちた事と、人間として価値がない事は、別の話です。
仕事で実績を出せられなかった事と、生きている価値がない事も、別の話です。
けれど、現実の社会では、その2つが、いつの間にか、結びついてしまうーー。
★もっと、頑張らなければ
☆もっと、稼がなければ
★もっと、認められなければ
ーーそして気が付けば、自分自身を、他人との比較の中で、探し始めてしまう。
ーー幸せとは、人生を大きくすることだけを、言うのではない。
小さな幸せを感じられる余白を持つことを、幸せと呼んでもいい。
『ちいかわ』の世界は、幸せが、大きくない。
草むしりを、して。報酬を、もらって。美味しい物を、買って。友達と、食べる。
それだけのことが、ちゃんと嬉しい。
それだけのことが、ちゃんと人生になっている。
そして、大きくなることを、否定もしていない。
大きくなっても、いい。でも、大きくならなくてもいい。
遠くまで、行ってもいい。でも、遠くまで行かなくてもいい。
どちらを選んでも、あなたの存在まで否定される理由には、ならない。
これは、とても静かな自由であるーー。
ー自分の価値を証明しなくてもいいと思えた時、努力は鎧を脱ぎ、翼になるー
だからこそ『ちいかわ』の世界が、妙に優しく感じられるのかもしれません。
『ちいかわ』の世界にも、仕事がありーー
☆資格が、ある
★報酬が、ある
☆能力の、違いがある
ーー決して「みんな、同じで幸せ」という、世界ではありません。
寧ろ、現実世界を写したかのような、かなり残酷な世界でもあります。
それでも、そこには不思議な安心感が、あります。
その安心感とは、能力の差が、存在の差になっていないからであると、私は、考えていますーー。
☆ハチワレが資格を持っていても、ちいかわよりも上になるわけではない
★ちいかわが試験に落ちても、ハチワレよりも下になるわけではない
ーーちいかわは、草むしり検定5級の試験に挑戦し、ハチワレだけが合格するという経験をしています。
ちいかわは、その後も、試験に挑戦し続けます。
ここが、大切なのだと思う。
「負けても、いい。」のではない。
「負けた自分を、負けたという理由だけで、嫌いにならなくていい。」が『ちいかわ』の世界にはある。
努力をして、それでも届かなかった。友達は、届いた。それでもーー
☆友達は、友達のまま
★自分の居場所は、自分の居場所のまま
☆世界は変わらないし、世界は終わらない
ーーこれは、現実社会を生きる私達にとって、実はとても大切な感覚なのではないでしょうか?
私達は、結果を自分自身に、貼り付け過ぎていますーー。
★合格した自分、不合格だった自分
☆成功した自分、失敗した自分
★褒められた自分、怒られた自分
ーーその度に、自分という人間そのものまで、評価してしまっています。
ただ、結果は自分の一部ではあっても、全部ではありません。
ここを切り離す事が出来た時、人は、少し自由になれると、私は、考えていますーー。
☆失敗してもいい。だから、挑戦できる
★負けてもいい。だから、勝負できる
☆休んでもいい。だから、また歩き出せる
ーーこれは「何もしなくていい、自由」ではありません。
寧ろ、反対。
自分が価値のある人間だと、証明する為に、頑張らなくていい。
そう思えた時、努力は「自分を守る為の鎧」から「自分の行きたい場所へ、向かう為の翼」に、変わるのだと、私は考えています。